建築とコンピュータ(4)


コンピュータ進化論

今のコンピュータは、非常に未成熟な技術だと思います。車とパソコンを比べてみるとおもしろいと思うんですけど、車を運転している時に、ハンドルがハングアップしたり、ブレーキがリスタートすることは、まず考えられません。でも、F−1のような高度なレースでは、パイロットやピットは、車の故障との闘いを強いられていると思います。今の世の中に普及しているパソコンは、レース場での実験マシーンのようなものだと思うんです。実験マシーンですから、いつ壊れるかもわからないし、天才的なパイロットには操縦できても、フツーの人=レスト・オブ・アスには、使いにくい部分が多いわけです。

IBMのディープ・ブルーのように、巨大な開発費をかければ、まあまあまともに人間と勝負が出来るコンピュータを作れるわけですが、そういうのはほとんど稀な例だと思います。パソコンクラスのほとんどのコンピュータは、まだまだ子供みたいに未成熟だと思うんです。でも、未成熟だから使わないというのは、やはり、もったいない話だと思います。

 

最近熱中していること

一昨年から法政大学に勤めさせていただくようになりまして、最初の頃は周囲にパソコンもなく困っていたりもしましたが、みなさまのおかげで、最近は徐々にいろんなことが出来るようになってきました。最近、大学で熱中していることについて、いくつかお話をさせていただきたいと思います。

 

ゼミ内ネットワーク

大学で熱中していることといえば、なんといってもゼミです。法政大学の建築学科には、ゼミという少人数での教育単位があります。もちろん、他の大学にもゼミはあると思いますが、グループで協力し合いながら、研究活動をするのはとてもいいものだと思います。でも、実際にゼミが成り立つためには、時間と空間が共有されなければならなくて、グループの全員が同じ時間と空間を共有するのはそれほど簡単なことではありません。学生には、就職活動とかアルバイトとかいろんな事情があって、なかなか集まることが難しいみたいなんです。そこで、パソコン上で、ヴァーチャルに時間と空間を共有すればいいじゃないかということを思うわけです。

今年度のゼミが始まった時、僕は、ゼミの学生に、「僕はみなさんを番号で呼びます。みなさんは背番号のついたユニフォームを着用してください。ゼミ内での会話は禁止しますから、何か発言をする時はキーボードをたたいてください」と言いました。もちろん冗談ですけど、「ゼミ内の連絡は電子メールでしましょう」ということは本気で提案しました。最初の頃、ゼミのみんなはけっこうとまどっていたのかもしれません。3月・4月は、ゼミをやろうといってもほとんど集まりが悪かったんです。

でも、少しずつ電子メールが機能するようになると、ゼミの出席率も上がってきました。ゼミに出席した人には、ディスカッションの要旨なんかをまとめて、電子メールで欠席した人に送ってもらうようにしていたのですが、そんなことをしている内に、自然にみんなが集まるようになったんです。ゼミで何をやったかがゼミをさぼってもわかるようなシステムを作ると、逆にみんなが集まるようになったというわけです。

よくいわれる話なんですが、電話が発明されたとき、「電話の発明によって、人間同士が実際に会って話をする必要がなくなった。これからは外出をする人が減るだろう」ということを言った評論家がいたそうです。でも、そんなのは大ウソです。人々は電話で待ち合わせの約束をして、デートに向かうんですからね。

ゼミの中にも同じ現象が起こっていたんだと思います。別に電子メールじゃなくても、電話でもよかったんだろうとは思うんですけど、連絡網が整備されたことにより、実際に集まる機会も増えたわけです。この現象も、デジタルとアナログ、仮想空間と現実空間との重なり合いを示すものだと思います。

春から始まった僕のゼミでは、数えてみると約700通くらいの電子メールがやりとりされていました。1日平均3通といったところです。ほとんどはどうでもいいような内容なんですけど、何がどうでもよくなくて、何がどうでもいいのかは、問題ではないと思うんです。それぞれのメールには、瞬間・瞬間に発せられる偶然の感覚が宿っていて、そういうもののすべてをフラットに記憶できるのが、コンピュータの偉大な特性の一つだと思うんです。

 

ホームページ

それから、最近はホームページにも熱中してます。1年生の授業の「建築通論」では、「おもしろいホームページを紹介してください」という課題を出しましたし、3年生の「設計製図」では、「住宅の設計をホームページで表現してください」という課題を出しました。「空間解析論」という授業のレポートは電子メールで提出してもらいましたけど、レポートの全文はホームページ上で公開しています。今担当している「建築総合演習(施工)」では、「ホームページに見る建設技術」と題打って、ホームページ上に見られる各建設会社の技術について、学生自身に調べてもらい、発表してもらっています。

こういう授業方法では、教師のために発言をしたりレポートを書くという現象が逆転し、教師と学生という一対多の構図が、学生同士というグループ的な構図に代わっているように思います。何もコンピュータを使わなくたって、もともと、ゼミ形式の少人数授業ではこういう形式があったとは思いますけど、コンピュータの助けを借りると、けっこうな大人数でも、グループ形式の授業が出来るように思います。

 

コンピュータの未来

ただ、良いことばかりではありません。たとえば、授業のレポートに関して、当初、僕には、学生にはレポートが公開されるという緊張感があるから、レポートの質が向上するんじゃないかという目論見がありました。でも、この目論見は大はずれでした。電子メールで提出されたレポートより、一昨年の後期に提出してもらった、手書きのレポートの方が充実していたからです。手書きのレポートには、説明のための図表やスケッチが書いてあったり、写真が書いてあったり、内容も自分の経験などをふまえたおもしろいものが多かったんです。でも、電子メールだと、文字ばっかりだし、似たり寄ったりの内容が多かったように思います。お手本があるから、似たり寄ったりになってしまうのかもしれません。

でも、僕は、そういったことが、致命的な弊害だとは思いません。これもまた、コンピュータの未成熟さによる一時的な弊害に過ぎないと思うんです。

現在のホームページ技術は、絵や写真を扱えないことはありませんが、それほど使いやすいものだとは思えません。僕のゼミの学生が、卒業研究で、「建築家のホームページ」の調査をしているようなんですけど、彼のアンケート調査によると、ホームページを作っている建築家の多くが、「ホームページに出来ること」に不満を感じているそうです。ホームページがこのまま進化するのか、まったく新しいテクノロジーに置き換わるのかどうかはわかりませんけど、まだまだいろんな進展があると思います。

技術的な問題が解決されて、簡単に図面が描け、ホームページ化できるようになったりすると、構造やディテールやスケールを知らない奇妙な建築がネット上に氾濫することになるかもしれません。技術を使いこなせないといいますか、技術に使われてしまうという現象は、今でもあちこちに見られているように思います。

実際の話、手書きで描けばこんなミスはしないのに、コンピュータを使うからこんなミスをしてしまいました、という事態に直面することが少なくありません。でも、僕は、「だからコンピュータを使うのは止めよう」とは思いません。「もっとコンピュータをうまく使おう」と思うようにしています。

 

ありがとうございました。