映画に描かれた建築・都市

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古代ギリシア建築

前9世紀ごろから前1世紀ごろにかけて,ギリシア本土・エーゲ海周辺・南イタリア・シチリア地方などギリシア人の居住地域で発達した建築。初期の建築は日干煉瓦(ひぼしれんが)と木材で造られたが,前7世紀中ごろから次第に石造に変り,それに続く前6〜5世紀に全盛期を迎える。ギリシア建築の中心をなす神殿は,ミュケナイ時代のメガロンの系統を引く単純な形式から始まり,ドリア式・イオニア式・コリント式のオーダーを持つ独特の周柱形式に発展。アテナイのアクロポリスをはじめ各ポリスの守護神を祀る神城やオリュンピア,デルファイなどの宗教的中心地には,神殿のほか,多くの祭壇・宝庫・レスケ(集会場)などが立並び,また祭の行事として催される体育競技や演劇のためにはスタディオンや体育練習場のギュムナシオンとパライストラ,音楽堂のオデイオン,山の斜面を利用した半円形の劇場など,また,ポリスの行政・経済・社交の中心たるアゴラにはプレウテリオン(議事堂)・プリュタネイオン(市庁舎),商店・ストア(列柱廊)などが造られた。(「建築大辞典〈縮刷版〉,1976年,彰国社」より)

 

パエストゥム

パエストゥムの神殿は,近隣を含み,『パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレントとディアノ渓谷国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院』という名称で世界遺産に登録されている。

 

パルテノン神殿

世界遺産『アテネのアクロポリス』

 

エピダウロスの劇場

ここに残る遺跡は『アスクレピオスの聖地エピダウロス』の名称で世界遺産に登録されている。

 

アリストテレス

アレキサンダー3世は,13~16歳までアリストテレスに学んだといわれている。

 

コルフ島

島の中心部は『コルフ旧市街』として世界遺産に登録されている。

 

メテオラ

『メテオラ』という名称で世界遺産登録されている。いくつかの修道院は現在でも修道院として使われている。『ユア・アイズ・オンリー』の撮影においては,神聖なる修道院を撮影で使用することには反対する運動があったという話が残っている(DVDに収録されたドキュメンタリー「ユア・アイズ・オンリー」で語られている)。

 

デロス島

デリス島は,『デロス島』の名称で世界遺産に登録されている。ミコノス島からデロス島へのツアーは観光の定番。

 

ブルース・リー

主演映画には,『ドラゴン 危機一発』(1971年),『ドラゴン 怒りの鉄拳』(1971年),『ドラゴンへの道』(1972年),『燃えよドラゴン』(1973年)の4本と,未完成映画を再構成して製作された『死亡遊技』(1978年)がある。

 

第2話 古代ギリシアの空間
 −水・植物・自然と身体の美学ー

年表

歴史は,ごくおおまかにいえば,「古代→中世→近世→近代」に分類することができる。そして,世界史における古代はエジプト,ギリシャ,ローマの3つの時代に区分することができる(左図)。古代エジプト時代と古代ギリシャ時代は並行して存在した文明だともいえるが,建築の歴史としては,ピラミッドなどの古代エジプト建築は古代ギリシャ建築に先行するものだ。

14~16世紀にはルネサンスが起こり,再び世界のあり方が大きく転換する1。ルネサンスは,古代ギリシアや古代ローマの文化を参照しながら,人間中心の新しい文化を生み出そうとする運動だった。ルネサンスが中世にとどめを刺し,近世が始まる。

近世以降の時代区分には諸説がありえるが,一つには,18世紀後半から19世紀前半にかけての産業革命以降を近代とする考え方がありえる。産業革命は生産のあり方を手工業から工場生産へと変化させた。建築についても,鉄やコンクリートそのものは古代にも存在した建築材料であるが,製鋼された鋼を用いる鉄骨構造(鋼構造),鉄とコンクリートを組み合わせる鉄筋コンクリート構造が発展し,今日の建築技術が確立するのは産業革命以降のことである。

古代エジプト時代の都市空間・建築空間については前章で述べた。本章では,古代ギリシャ時代について述べる。

2-1. ギリシャ神話の大冒険(アテネ,エピダウロス)

古代エジプトの王朝はBC4000年頃から始まったとされている。そして,アレキサンダー3世(アレキサンダー大王,BC356〜BC323年)がアレキサンドリアを建設しファラオを名乗ったのがBC332年。最後のファラオ=クレオパトラが自殺しプトレマイオス朝が消滅したのがBC30年である。その古代エジプトの時代に並行して,古代ギリシャの時代が存在した。

古代エジプトのピラミッドはファラオの建築であったが,今に残る古代ギリシャ建築には,音楽堂,劇場,アゴラ(古代都市)など民衆のためのものが含まれている。また,ギリシャ建築には,エジプト建築には見られない,人間のプロポーションや植物を摸した造形も見られる。そこから,古代ギリシャの空間に思いを巡らせることができる。

 

古代ギリシャの歴史は神話として語られた部分が多く,そして,その神話のいくつかが映画化されている。ディズニーのアニメ映画『ヘラクレス』(1997年)もその一つで,そこにはギリシア神話の最高の神=ゼウスとその息子=ヘラクレスが登場する。

 

アルゴ探検隊の大冒険』(1963年)は,ゼウスや女神ヘラが登場する映画化されたギリシャ神話である。特殊効果を担当したレイ・ハリーハウゼンが描き出したストップモーション(物体を少しずつ動かしながら1コマ単位で撮影する手法)による怪物の動きは,CGのない時代においては大変な驚異だったはずだ。単純な冒険活劇であるが,だからこそおもしろい。

この映画には,随所に神殿などのギリシャ建築が登場する。「0:49:17」からの怪鳥が登場するシーンは,パエストゥム(イタリア,ナポリの南東)にあるギリシャ神殿を使って撮影されている。パエストゥムには,ケレス神殿(前6世紀末),バシリカ(BC540年頃),ポセイドン神殿(BC460年頃)が残っている。

パルテノン神殿 パルテノン神殿

『アルゴ探検隊の大冒険』に登場するパエストゥムの神殿とは異なるが,最も有名なギリシャ神殿は,アテネ(ギリシャ)のアクロポリスの丘に建つパルテノン神殿であろう(写真)。現在の神殿はBC447~438年に再建されたもの(旧神殿はBC479年にペルシアによって破壊された)。30.88メートル×69.5メートルの平面に,高さ10.4メートル,底面の直径1.9メートルのドーリス式円柱が,東西に8本,南北に17本並ぶ。

エレクティオン神殿 エレクティオン神殿

パルテノン神殿の北にはエレクティオン神殿が建つ(写真)。エレクティオン神殿は,BC421~407年頃に建てられたイオニア式神殿で,柱廊は6体のカリアティデス(女性)によって支えられている。このカリアティデスの柱廊は,少なくともこの部分の柱のプロポーションが人間の身体に一致していることを物語っている。

ギリシャ神殿の柱頭は,ドーリア式,イオニア式,コリント式などの古典オーダーをもつ。現存する円柱は石造であるため,ギリシア神殿には石造のイメージが強いと思う。しかし,もともとの古代建築が石造だったと考えてしまうと,古典オーダー(柱頭のデザインの由来)の説明がつかなくなる。古代ギリシャ建築には伐採された樹が柱として使われ,柱の頂部に何らかの植物が付いていたのではないか,その植物の文様が,その後,柱が石で造られるようになった時に装飾として描かれたのであろう,というのが古典オーダーの起源に関する有力な解釈である。

柱を人間の身体に見立てたり,あるいは,生物である植物の姿を建築の形態に組み込んでいったことは,ピラミッドに代表される古代エジプト建築と古代ギリシア建築の決定的な違いである。ギリシャ建築は,本質的に人間や自然の姿を表出することを意識していたと考えられる。

『アルゴ探検隊の大冒険』の主人公のジェーソンは「0:20:02」からのシーンで,屈強な仲間を競技によって探し出す。人間の身体的能力を競い合うこの競技のシーンは,オリンピックの原型のように見える。誰もが知るように,ギリシャはオリンピック発祥の地である。

記録に残る最初のオリンピックはBC776年に行われ,393年まで4年ごとに開催されていた。スタディアム(競技場)は長さ約200メートル,幅約40メートルの長方形。走路の長さは192.27メートルであり,その長さはスタディオンと呼ばれ,1スタディオンを走るのが短距離走。それ以上の競走は走路を往復して行われたとされる。すなわち,スタディアムの大きさもまた,人間の身体と関係していた。

たとえば,現在の野球のピッチャープレートからホームベースまでの距離は18.44メートル。各塁のベース間の距離は27.432メートル(90フィート)。これらの距離が変われば,野球のバランスは崩れてしまう。スポーツに限った話ではなく,人間には長い間に培われた寸法感覚があり,人間の寸法が建築の大きさを決めている。その起源をギリシャ建築に見ることができるように思う。

 

『アルゴ探検隊の大冒険』の特殊効果を担当したレイ・ハリーハウゼンは,『タイタンの戦い』(1981年)でも同じく特殊効果を担当している。『タイタンの戦い』は,ゼウスの息子ペルセウスを主人公とするギリシャ神話の物語である。ゼウスは女神らと一緒に下界を見下ろし,人間の運命を操る。神々の愛と嫉妬と復讐が,人間の運命を翻弄し,冒険を生み出す。この物語には,クラケン(海の牢獄に閉じ込められ,海神ポセイドンによって解き放たれる海獣),人獣カリボス(女神テティスの息子),蛇女メドゥサ(女神アテナに怪物に変えられたポセイドンの恋人)といった怪物も登場する。怪物もまた,人あるいは神の化身である。神が擬人化しているのは,ピラミッドのような物理的な量塊にではなく,物語という概念に名を残すことがその時代の使命であったからであろうか。

『タイタンの戦い』にも,『アルゴ探検隊の大冒険』と同様にパエストゥムの神殿が登場するが,その他に円形劇場も登場する。「0:15:45」にペルセウスはテティスによってフェニキア国のヨッパに飛ばされる。ペルセウスは円形劇場で詩人で劇作家のアモンに出会い,その地から彼の冒険が始まる。パエストゥムの神殿は,「1:21:14」に,メドゥサの住処として登場する。

ディオニソス劇場 ディオニソス劇場

オデオン オデオン

ピラミッドは王のための建築だったのであろうが,劇場は民衆のための建築であったはずだ。ギリシャ時代の円形劇場は各地に残っている。パルテノン神殿が建つアクロポリスの丘のふもとにはディオニソス劇場写真)とオデオン(音楽堂)(写真)がある。斜面を利用してつくらてたディオニソス劇場は18,000人余りを収容したといわれる。オデオンは6,000人を収容する音楽ホールで,現在も修復され使用されている。

エピダウロスの劇場 エピダウロスの劇場

アテネから離れた地方にある円形劇場として有名なのはエピダウロスの劇場写真)であろう。エピダウロスはペロポネソス半島の東部に位置する都市で,現在のギリシャの首都=アテネからは120キロほど離れている。アスクレピオス(アポロの息子)は古代ギリシャの医神であり,この地には各地から治癒を求めて人々が集ったといわれている。

エピダウロスの劇場はBC4世紀に建設されたもので,14,000人余りの観客を収容することができるという。ここでは,今でもその施設を活用し,夏の一定期間に演劇が行われている。シーズンにはアテネから観戦ツアーのバスが数多く繰り出される。かつてと同様,この地には人が集まり続けている。

 

ギリシャの神々が登場する時代劇である『アルゴ探検隊の大冒険』や『タイタンの戦い』に対して,2010年公開の『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』(クリス・コロンバス監督)は,ギリシャの神々が登場する現代劇だった。現代のアメリカのニューヨーク,ラスベガス,ハリウッドがが舞台となるが,ゼウス,ポセンドン,アテネなどの神々や,蛇女メドゥサも登場する。ギリシャ神話のプロットは,カタチを変えながらも,語り継がれる物語だろうと思う。

2-2. 英雄たちの闘い(ギリシャ周辺の国々)

トロイ』(2004年,アメリカ,ウォルフガング・ペーターゼン監督)は,ブラッド・ピットがギリシャ神話における伝説の戦士アキレスを演じた映画。アキレスに限った話ではなく,当時の戦士は後世に名を残すことで永遠の栄光を手に入れるため闘いに挑んだということだったのだろう。アキレスの名は神話だけではなく,強者の弱点という意味での「アキレス腱」という言い回しにも残っている。

トロイ王子のパリスがスパルタ王メネラオスの妻ヘレンと恋に落ち,ヘレンをトロイ(現在のトルコ)に連れて帰ってしまう。怒ったメネラオスがミュケナイ王である兄のアガメムノンと共にギリシャ軍を組織し,トロイに総攻撃を仕掛ける。そのギリシャ軍の最強の戦士がアキレス。というトロイ戦争の話は神話であって事実であったかどうかはわからないが,史実としては,ペルシャ戦争(BC546〜BC448年)やアレキサンダー大王(BC356〜BC323年)の東方遠征などがある。

300〈スリーハンドレッド〉』(2007年)は古代ギリシャの都市国家の一つであるスパルタの闘いを題材にしたアクション活劇。ペルシャ戦争を意識はしていると思われるが,史実を描こうとした映画ではなく,単純なアクション活劇として見るべき映画である。軍隊と軍隊が闘う戦争映画の一種ではあるものの,CGを多用し,まるで『座頭市』の居合い切りを見ているような1人対多勢の構図で描かれた戦闘シーンは斬新だった。

アレキサンダー』(2005年)では,コーリン・ファレルがアレキサンダー大王を演じている。アレキサンダー大王は20歳でマケドニアの王となり,ギリシア,エジプト,インドの一部を含む大帝国を創建した。映画には少年時代の教師としてアリストテレス(BC384〜BC322)も登場する。

人類の歴史は戦争の歴史だったと見ることができるが,ギリシャ時代もまた戦争の歴史の一コマであったと思う。しかし,いつの時代も戦争のために戦争をしていたわけではなく,戦争は時代を維持するための手段だったのだろうと思う。映画においても,映画が戦争や殺人が描くことは多いが,戦争や殺人そのものが映画のテーマであることは少なく,映画のテーマは愛や冒険であることの方が多い。戦争や殺人はそのための背景に過ぎない。実際の戦争は悲惨だとは思うが,だからといって簡単に避けられるものではないであろう。歴史は物語として後世に伝えられ続けてきたのだと思う。

2-3. 続・007の大冒険(コルティナダンペッツォ,コルフ島,メテオラ)

前章で話題にした『007/私を愛したスパイ』(1977年)は,007シリーズの第10作を記念する大作で,巨大タンカー,海底秘密基地,水陸両用のロータスエスプリ(イギリスのロータス社が生産するスポーツカー)など,大がかりな仕掛けが登場した。続く第11作の『007/ムーンレイカー』(1979年,ルイス・ギルバート監督)」は,スペースシャトルや宇宙ステーションまでもが舞台となり,前作を上回る大仕掛けな映画となっていた。スペースシャトルを操縦しミサイルを打ち落とす宇宙活劇が007映画にふさわしいかどうかは疑問であるが,より大仕掛けなスケールを追求すれば,舞台は宇宙という大がかりな設定も確かにあり得たのだろう。

 

さて,その『ムーンレイカー』に続く第12作の『007/ユア・アイズ・オンリー』(1981年,ジョン・グレン監督)には,大仕掛けに頼らず,生身の人間のアクションに回帰しようとした傾向が見られた。そして,この映画がギリシャを舞台としている。生身の人間のアクションにはギリシャがよく似合う。

ギリシャ沿岸でミサイル誘導装置を装備した監視船が沈没し,ジェームズ・ボンドが回収に向かうというのおおまなかなストーリー。映画のおもな舞台は,北イタリアのコルティナダンペッツォ,ギリシャのコルフ島メテオラである。

「0:33:36」〜「0:58:21」がコルティナダンペッツォを舞台としている。コルティナダンペッツォは1956年に第7回の冬季オリンピック大会が開催された町。映画でもアイススケートのリンクが登場し,スキージャンプやバイアスロンやボブスレーの競技とも絡んだアクションが展開する。「2-1. ギリシャ神話の大冒険」で述べた通り,オリンピックはギリシャで生まれた。生身の人間のアクションをテーマとした『007/ユア・アイズ・オンリー』に生身の人間の闘いであるオリンピックが登場したのは,必然的な演出であったと思える。

コルティナダンペッツォでのアクションの後,物語の舞台はギリシャのコルフ島(ケルキラ島とも呼ばれる)に戻る。コルフ島は,ギリシアの西部,イオニア諸島の北端の島。BC734年頃にコリントの植民地として成立し,ペロポネソス戦争(BC431~404年のアテネ,スパルタ間のギリシアを2分した戦争)の要因となった島でもある。

「1:20:12」に海中に埋もれたギリシア神殿の発掘が描かれるが,ギリシア神殿が表れるのはごく短い時間だけ。『ユア・アイズ・オンリー』で重要な役割を果たすギリシャ建築は,古代ギリシャ時代のものではなく中世のものである。

「1:44:40」以降,映画の舞台はメテオラに移りクライマックスを迎える。

メテオラは,ギリシア,テッサリア地方のトリカラ地区にある修道院群である。奇怪な形状の岩山の頂上に,14世紀以降,24もの修道院が建てられている。これらの修道院は,いずれも岩山の形状に合わせて建てられており,かつては階段も橋もなく,荷物は巻き上げ機や吊りかごで運ばれたという。

『ユア・アイズ・オンリー』では,岩山の上の修道院が密輸組織の秘密基地として描かれている。007映画は,メテオラの驚異的な光景を描き出し刃するが,歴史を何も伝えない。それが不適切だという見解はありえるだろう。しかし,それでもいいのではないだろうか。歴史は後から学んでもいいのではないかと思うからである。修道院には中世のフレスコ画やイコンなどが保存されており,『ユア・アイズ・オンリー』にも効果的に映し出されている。それも風景の一部だ。

ジェームズ・ボンドは,秘密基地に向かって登山をする。岩山でのアクションには息を飲む緊張感が漂う。ジェームズ・ボンドがメテオラの壮大さを引き出している。

 

登山は人間の自然への挑戦である。登山によって自然が征服できるわけではないが,自然の壮大さを確認することができるのだと思う。登山を描いた映画は多い。たとえば,クリント・イーストウッド主演・監督の『アイガー・サンクション』(1975年),シルベスター・スタローン主演の『クリフハンガー』(1993年),そして,『バーティカル・リミット』(2000年)などが印象的だった。『ミッション・インポッシブル2』(2000年,ジョン・ウー監督)の冒頭にも,トム・クルーズの登山シーンが描かれている。壮大な自然を描く映画の登山のシーンは,実にギリシャ的である。

2-4. 水の空間(ギリシャの海)

グラン・ブルー』(1988年,フランス,リュック・ベッソン監督)は,実在した潜水夫=ジャック・マイヨールを主人公に海と人間との関係を描いた珠玉の一作。

主人公は,ジャック,ジャン・レノが演じたエンゾ(ジャックの幼なじみ),ロザンナ・アークェットが演じたジョアンナ(ニューヨークの保険会社の調査員)も3人。冒頭のギリシャ・キクラデス諸島のアモルゴス島のシーンでは,ジャックの少年時代がエンゾの回想として描かれる。「0:14:50」からはイタリア・シチリア島のタオルミナの海でエンゾの潜水シーン。「0:23:36」では氷に覆われた冬のチチカカ湖(ペルー)でのジャックの潜水シーン(ジャックはここでジョアンナと出会う)。「0:34:31」にはコートダジュール(フランス)でジャックとエンゾが再会。「0:43:37」には3人がタオルミナに集まり,その後は世界各地の海が舞台となるが,最後のシーンはギリシャに戻る。

ギリシャの海は,数千年の時を経ても,何ら変化はしていないであろう。だとすれば,『グランブルー』に描かれた水と人間との関わりを,エーゲ海を中心に栄えた古代ギリシア文明の世界観に重ねることができると思う。

ミコノス島 ミコノス島

エーゲ海には美しい島が数多く浮かぶ。有数の観光地であるミコノス島写真)もその一つである。島の斜面に沿って,教会をはじめとする多くの白い壁の建物が建ち並ぶ。風車が並んでいたりもするエーゲ海の決定的な風景がここにある。

デロス島 デロス島

ミコノス島から船で30分ほど揺られたところに世界遺産,デロス島写真)がある。この島は,アポロン信仰の中心地であり,古代には宗教,政治,商業の地として栄えたという。アポロンの巨像の断片や大理石のライオン像が発掘されている。

 

海を美しく描いた映画は数多い。メリル・ストリープとピアーズ・ブロスナン(5代目ジェームズ・ボンド)が共演した『マンマ・ミーア!』(2008年)はエーゲ海に浮かぶギリシャの小島を舞台にした現代劇。島で小さなホテルを経営するシングルマザーのドナが,娘=ソフィの結婚式をめぐって,かつての恋人3人と鉢合わせをしてしまう。『マンマ・ミーア!』はそんなストーリーがアバのヒット曲にのって展開するミュージカル。人生を美しく描くためには美しい島の風景が必須だと思う。

宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)には水上飛行機の離着陸や飛行シーンが描かれていた。アニメ映画の舞台を特定することは無理なことだが,イメージとしての映像は実にギリシア的である。同じく宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』(2008年)も海の映画。

前章で話題にした『007/私を愛したスパイ』にもサルディニア(イタリア)の海が登場する。ボンド・カー(ジェームズ・ボンドが乗る車)のロータスエスプリが海に飛び込んだ後に潜水艇に変化する場面は,記憶に残るシーンだと思う。ロータスエスプリが陸上に上がるシーンもユーモラスで印象的だった。007シリーズでは,『サンダーボール作戦』(1965年)も海の映画。『ナイル殺人事件』に続く名探偵ポワロ登場の『地中海殺人事件』(1982年)はアドリア海(イタリアとギリシャに挟まれた海)が殺人の舞台だった。美しさとの対比という意味で,海は殺人とも相性がいい。

アラン・ドロン,リノ・ヴァンチュラ,ジョアンナ・シムカスの共演によるフランス映画『冒険者たち』(1967年)も,空と海を描いた傑作だった。『冒険者たち』も『グランブルー』と同様に男2人に女1人の物語。2つの映画はいろんな点で共通していると思う。『冒険者たち』は「0:44:35」から海での宝探しのシーンとなる。「宝が見つかったらどうする?」と聞くアラン・ドロンに,ジョアンナ・シムカスが「海の家を買う。ラ・ロシェルよ」と答える。ラ・ロシェルはパリの南東500キロに位置する町。そして「海の家」は実在する「ボワイヤー要塞」9。「ボワイヤー要塞」はナポレオン(1769〜1821年)が建てたといわれる建物なので,古代ギリシャとは無関係である。しかし,海に浮かぶ建物はまるでギリシャ神殿のようだ。
 

2-5. 身体の美学

前章で述べた古代ピラミッドのスケールは,人間のスケールを超えていた。ピラミッドのスケールは,死後の世界やナイル川の氾濫など人間の力の及ばない何かを連想させる。ピラミッドは量塊としての建築であり,オーダーのような細やかな装飾をもつものではなかった。エジプト時代の神殿には,壁に描かれた画は見られるが,建築的な装飾は見られない。量塊としてのピラミッドは,人間が自然と対峙することによってしか生きられなかったことを物語っている。実際,古代エジプトを生きた人々は,砂嵐やナイル川の氾濫といった自然現象との格闘と共存を繰り返していたのだろうと思う。

それに対して,古代ギリシャにおける自然との関係は,よりおだやかな共存ではなかっただろうかと思う。水とともに生き,丘の上に家(神殿)を造るエーゲ海文明,ギリシア文明が開花すると,人々の世界観は,自然と対峙して生きることから,自然とおだやかに共存して生きることへと変化したと思えるのだ。。水,植物,自然の表出といった空間概念には,エーゲ海のイメージ,あるいは,古典オーダーとのアナロジーが感じられる。

自然の表出といった概念の他に,古代ギリシア建築のオーダーには,もう1点,「身体の美学」とでも呼べるような概念を見いだすことができると思う。ギリシア建築は均整のとれたプロポーションを追求した。先にも触れたが,アテネのアクロポリスに建つエレクテイオン(神殿)にある人型の柱は,人間のプロポーションがそのまま柱のカタチになったものである。また,基壇・列柱・ペディメントによる三部構成をもつパルテノン神殿の立面は,脚・胴・頭による人間の身体を連想させる。さらに,その基壇の水平線やペディメントの輪郭線にはわずかなむくりが存在し,このむくりによって,見た目の水平性,直線性が演出されているといわれている。このことは,パルテノン神殿のカタチが人間の視点でデザインされていたことを物語っている。すなわち,つまり,ギリシア建築は,人間の身体のように美しく,そして,人間の眼がとらえる世界が重要という世界観によって作られたものだったと考えられる。

 

さて,映画には,一人のヒーローあるいはヒロインが,「自らの身体を武器に悪と闘う」というプロットが数多くある。ヒーローやヒロインによる勧善懲悪はもっとも典型的な映画のパターンで,『スーパーマン』,『スパイダーマン』,『XーMEN』,『トゥームレイダー』,『チャーリーズ・エンジェル』などなど,ヒーローやヒロインが活躍する映画にはシリーズ化されたものも多い。

もちろん,それぞれの映画には微妙な違いがあって,すべてが単純な勧善懲悪だとは言えないし,ヒーローやヒロインは,時として拳銃などの物理的な武器を使ったり超能力をもっていたりもするから,「自らの身体を武器に悪と闘う」ばかりではない。スナイパーを主人公とした『ゴルゴ13』(漫画が原作であるが映画もあった。ゴルゴ13を演じたのは高倉健(1973年)と千葉真一(1977年))のように「離れた場所から武器を使って決着をつける」映画もあるし,007(ジェームス・ボンド)も武器を多用する。『スターウォーズ』では,ルーク・スカイウォーカーとダースベーダーはライトセーバーという光の剣で闘う。という具合に映画の格闘シーンには武器や超能力がよく使われるが,それは「武器や超能力という非身体」が闘うということではなく,「身体の一部としての武器や超能力」によって身体の動きを誇張して描いていると思える。剣があるからそれをよけたりジャンプをして斬りかかったりという身体のアクションが生まれるわけだし,超能力を使うためにも大げさなアクションが必要となるのが映画の定番だ。

 

キアヌ・リーブス主演のヒット作『マトリックス』(1999年)は,今日の現実はコンピュータがつくり出したマトリックス=仮想世界であることを物語る映画だった。『マトリックス』の描いた世界を,現実は何者かによって支配されているのではないかという意識の映像化と考えることもできるだろうと思う。斬新なCGの使用の他,ワイヤーアクション(おもに格闘シーンにおいて俳優をワイヤーで吊って動かす手法),複数台のカメラによる連続撮影(動きのあるアクションシーンの中でカメラが移動してのにもかかわらず俳優の動きだけが止まって見える手法)など,『マトリックス』がつくり出した映像は,仮想世界を新鮮に描いていた。

しかし,『マトリックス』のもっとも緊迫するアクションは人と人の素手での闘いである。仮想世界であればどんな空間のどんな動きでを想定することができたはずが,もっとも美しく緊迫する動作として描かれたのは人間の動きであった。CGが描いた人間の動きも,モーションキャプチャー(人の動きをデータ化してCGが描く人物を動かす手法)によって制御されているという意味で,人間の動きの描写である。

 

武器に頼らず「自分の身体を武器として闘う」映画が少なからずある。その典型はカンフー映画(中国の拳法をアクションに取り入れる映画)であろう。そして,世界を驚愕させたカンフー映画の傑作として,1973年に製作された『燃えよドラゴン』(ロバート・クローズ監督)をあげることができるのではないかと思う。

32歳で夭折したブルース・リー(1940-1973)が主演した『燃えよドラゴン』は,物語がテンポ良く展開する快作であり,ブルース・リーの身体,そして,身体の動作による感情や場面展開の表出などが傑出した映画だった10。ブルース・リーの身体の動作はきわめて美しかった。

リー(ブルース・リー)と悪役=ハンとの最後の対決シーンでは,鏡の部屋が舞台になり,実像と虚像が交錯する不思議な空間が演出されていた。一つの身体が,まるでギリシャ神殿の列柱のように増殖する亞空間が現れる。このシーンについてはいろいろな解釈があり得ると思うが,一つの解釈としては,実像と虚像を交錯させることによって実像としての身体の存在をより強調する演出が意図されていたと考えることができる。そういった意味で,『燃えよドラゴン』は「身体の美学」を見事に表出した映画だった。

『燃えよドラゴン』以降,カンフー映画は大きくは2つの方向に進んだ。一つは,『ポリスストーリー/香港国際警察』(1985年,ジャッキー・チェン監督)などのジャッキー・チェンの監督/主演作品に見られるような,主人公たちのバイタリティに溢れる動きを躍動感いっぱいに描く映画だった。ジャッキー・チェンの躍動感は,ミニマムで洗練されたブルース・リーの動きとは対照的である。そしてもう一つは,『グリーン・ディスティニー』(2000年,アン・リー監督)や『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)などの,ワイヤーアクションを多用して,人間の動きを大胆に誇張して描く映画である。

 

映画の技術がどんなに進化しようとも,映画が人間を描く限り,映画の表現は人間の動作に従う。同様に,建築が人間の使うものである限り,建築の表現は人間の動作に従う。建築の大きさは身体の大きさに基づいて決まるし,建築のプロポーションは,身体のプロポーション,あるいは,人が美しいと感じる不文律と何らかの関係をもちえるだろう。そういった建築と人間の関係は,ある程度,古代ギリシャ時代に確立していたと考えられる。だからこそ,ギリシャ建築の様式は古典として,その後の歴史においても繰り返して参照されていく。