映画に描かれた建築・都市

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Notes:

ローマ建築

前6世紀ごろから後5世紀ごろにかけて,イタリアを中心としヨーロッパ・北アフリカ・オリエントに跨(また)がる古代ローマの領土で発展した建築。共和制時代はエトルリア,前2世紀ごろからはギリシア建築の影響を受け,帝政時代に最盛期に達する。建築材料としては主に石材・煉瓦・コンクリートを使用。アーチ構造・ヴォールト構造などによる高層建築の技術に優れ,大規模な世俗建築や土木工事(円形競技場・宮殿・高層住宅・バシリカ・フォルム・大浴場・水道・記念門・都市計画など)に才能を発揮。宗教建築としてはギリシア・エトルリア風のポディウム神殿や円形劇場(パンテオンなど)・円形墓廟などが造られ,柱は特にコリント式とコンポジット式(混合式)オーダーが愛好された。(「建築大辞典〈縮刷版〉,1976年,彰国社」より)

西ローマ帝国

古代ローマ帝国の末,テオドシウス大帝の死(395年)後,帝の次子ホノリウスがその西半を領した国。首都はローマ。476年ゲルマン人オドアケルに滅ぼされた。

東ローマ帝国

テオドシウス大帝の死(395年)後,その子がローマ帝国を東西に両立し,東方部すなわちエジプト・小アジア・シリア・ギリシアの地を領した国。長子アルカディウスが継承してコンスタンチノープルに都した。建国以来千余年にして1453年トルコに滅ぼされた。この間首都はギリシア正教の中心地として宗教上の指導的地位にあり,また,燦然たるビザンチン文明を生み出した。ビザンチン帝国。ギリシア帝国。(「広辞苑/第5版,岩波書店」より)

ビザンチン建築

ビザンチン帝国(395-1453)の建築。ヘレニズム,初期キリスト教美術の伝統に,オリエント諸国からの影響を加えた独特の集中式ドーム建築を発展させた。初期の代表作にはドームバシリカ式のハギア・ソフィア大聖堂やドーム八角堂のサンヴィターレ聖堂(ラヴェンナ)など,中期にはギリシア十字形プランにドームを架けたオシオスルカス聖堂やサン・マルコ大聖堂(ヴェネツィア)などがある。聖堂の外観は一般に単純・簡素,内部は豪華絢爛たるモザイクで装飾される。この建築形式はやがてロシアやバルカン地方のキリスト教建築の原型となった。(「建築大辞典〈縮刷版〉,1976年,彰国社」より)

フォロ・ロマーノ

この一帯は,近接するヴァチカン市国(ローマ教皇領)を含めて,『ローマ歴史地区,教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂』という名称で世界遺産に指定されている。

ヴィラ・デステ

『ティヴォリのエステ家別荘』として世界遺産に登録されている。

ゼゴビア

『セゴビア旧市街とローマ水道橋』という名称で世界遺産に指定されている。

スポレト

イタリア中部,ウンブリア州の都市。

マルクス・アウレリウス

121〜180年,在位:161〜180年。五賢帝は,96~180年に相次いで統治したネルウァ,トラヤヌス,ハドリアヌス,アントニヌス・ピウス,マルクス・アウレリウスの5人。

スパルタカス

『2001年宇宙の旅』(1968年)以降,スタンリー・キューブリックは斬新な映画を作り続ける。『スパルタカス』は,キューブリックもフツーの映画を撮っていたんだと変なことに感心させられる映画であったりする。

ベン・ハー

1926年版は白黒/サイレントの映画である。映像には,聴衆のざわめきも,馬のいななきやひずめの音も,転倒する馬車の崩壊音も,いっさいの音が存在していない。それでも,白黒のサイレント映画がつくりえていた映像の表現力には驚くほかない。

イスタンブール

ハギア・ソフィア,ブルーモスク,地下宮殿を含む一帯が世界遺産『イスタンブール歴史地域』である。

ザ・バンク/墜ちた巨像

この映画には,ニューヨークのグッゲンハイム美術館(フランク・ロイド・ライト設計)で銃撃戦があったり,ミラノ中央駅前の超高層ビル=トーレ・ピレリ(ジオ・ポンティ設計)の内部が映るなど,有名建築が多く登場する。物語はベルリンから始まり,リヨン,ニューヨーク,ミラノ,ルクセンブルグ,イスタンブールなど,世界の都市を飛び回る。

スターウォーズ/ファントム・メナス

実際には,女王アミダラのシード宮殿の室内は,イタリア・カゼルタにあるカゼルタ王宮で撮影されたといわれている。カゼルタ王宮も世界遺産(カゼルタの18世紀の王宮と公園/ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョ邸宅群)に登録された建築である。

サン・マルコ大聖堂

最初の聖堂は聖マルコの遺骸を納めるために829~832年に建立されたが,976年に火災により消失された(ブリタニカ国際大百科事典 2009年)。

サン・ピエトロ大聖堂

旧聖堂は,324年に,ローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって創建されたとされる。現在の大聖堂の設計には,ブラマンテ,ラファエロらのルネサンス時代の芸術家が多数関わっている。ミケランジェロは,1547年に,教皇パウルス3世(在位1534‐49)により主任建築家に任命されている。

天使と悪魔

パンテオン,ナヴォナーナ広場,サンタンジェロ城, サンタ・マリア・デラ・ポポロ聖堂とポポロ広場,サンタ・マリア・デラ・ヴィットリア聖堂も登場する。なお,物語がキリスト教の内幕に踏む込む内容であることからヴァチカン市国が映画の撮影に協力したとは考えられない。サン・ピエトロ大聖堂やシスティーナ礼拝堂はCGとセットによって表現されたものだと思える。

エウル

文化宮殿は新古典主義的で抽象的,ヴィットリオ・エマヌエル2世記念堂はネオ・バロック様式といわれるが,巨大すぎる建築で,両者はファシズム,あるいは,共産主義的な雰囲気をもっている。今日のローマに存在するのは,古代ローマの人間的な古典のオーダーの受け継ぐ建築ばかりではない。意図的であったかどうかはわからないが,ローマの多様性を塗り込めたという観点で『ハドソン・ホーク』は興味深い映画ではある。映画のタッチがアメリカ流のドタバタコメディなので,素直に笑えるかどうかで評価が異なってくると思うが…。

ヴェスタの神殿

先に「3-1. 建築の複合体としての都市」で触れた『ローマの休日』にも登場する小さな建築。この建築がもつ古代建築のオーダー(形態)がルネサンス以降のドームの形態に大きな影響を与えた。

第3話 ローマからビザンチンへ

年表

古代エジプト文明と古代ギリシャ文明が成熟し衰退した以降に,古代ローマ帝国が一大勢力をもち,古代ローマ建築の様式が成熟した。

しかし,どんな繁栄も永遠には続かない。4世紀末から始ったゲルマン民族の大移動,キリスト教の普及などを背景とし,世界のあり方は大きく転換する。ローマ帝国は395年に東西(西ローマ帝国と東ローマ帝国)に分裂。コンスタンティノープル(現在のトルコ・イスタンブール)を首都とした東ローマ帝国は1453年まで存続するが,西ローマ帝国は476年に滅亡する。

イタリア地図

東ローマ帝国(ビザンチン帝国)ではビザンチン様式の建築が発展する。一方,西ローマ帝国の領土であった現在のヨーロッパの全体では,社会を支配したシステムが崩壊し,その後の1000年は,中世と呼ばれる各地方が固有の文化をもつ時代が続く。キリスト教が世界に広まっていくのも中世を通じてのことだった。

3-1. 建築の複合体としての都市(ローマ)

ローマを描いた現代劇の名作に『ローマの休日』(1953年,ウィリアム・ワイラー監督)がある。ローマを訪問したとある王国の王女アン(オードリー・ヘップバーン)は王室を抜けだし,たまたま知り合ったアメリカ人新聞記者のジョー(グレゴリー・ペック)とかけがえのない1日を過ごす。映画には,2人が駆け巡るローマの街の風景が生き生きと描き出される。

サンピエトロ大聖堂 サン・ピエトロ大聖堂

冒頭のタイトルバックにはサン・ピエトロ大聖堂写真),アンが宿泊する大使館として設定された建物の外観はバルベリーニ宮殿(国立絵画館)。

トレビの泉 トレヴィの泉

「0:18:32」にアンとジョーの出会うのはフォロ・ロマーノの前。「0:56:40」からのシーンでアンが髪を短く切る床屋はトレヴィの泉写真)近くにある。スペイン広場の階段でアンがアイスクリームを食べる有名なシーンは「1:01:28」から。「1:05:18」に,アンとジョーはパンテオン前の広場のカフェでお茶をする。「1:13:30」にはコロッセオを訪れ,「1:14:29」からはスクーターでローマ市内を走り周り,カンピドリオの丘などが背景に映る。「1:17:15」に,スクーターの暴走により警察に捕まった2人(カメラマンのアーヴィングも含めると3人)が警察から出るシーンの背景には,フォルトゥーナの神殿ヴェスタの神殿が映る。嘘を見抜くとされる真実の口のシーン(ジョーの手が抜けなくなる)は「1:18:20」から。サン・タンジェロ城でのダンスシーン(乱闘シーン)は「1:22:17」に始まる。『ローマの休日』は,全体がまるでローマ観光のように展開する。

もちろん,ローマは1日でできたものではない。今日のローマは2000年以上の歴史の蓄積だ。都市の最初のレイヤーは古代に敷かれたとしても,その上には,中世,近世,近代,現代のレイヤーが重なっている。前述した『ローマの休日』に登場する観光名所のうち,古代を起源とするのは,フォロ・ロマーノ,パンテオン神殿,コロッセオ,フォルトゥーナの神殿,ヴェスタの神殿などであり,その他のものは中世以降につくられている。それでも,古代だけに限ってみても,ローマは多様な建築の集合体だった。

 

前章の末節で触れたブルース・リーが製作・監督・脚本・主演を務めた『ドラゴンへの道』(1972年)は今日のローマを舞台とするカンフー映画。香港からやって来たブルース・リーが中華料理店を乗っ取ろうとする組織と闘うストーリーが展開する(ストーリーはごく単純である)。「0:45:35」以降にはブルース・リーとガールフレンドがローマの街を散策するシーンがあり,そこには,フォロ・ロマーノとヴィラ・デステが登場する。

フォロロマーノ フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノ写真)は古代ローマのフォーラム(都市施設が集まる都市の中心=公共広場)の遺跡である。コロッセオ,コンスタンティヌスの凱旋門カラカラ浴場写真),パンテオンなどの古代ローマの歴史的建造物はこの周辺に位置する。カラカラ浴場は212年から217年にかけて造られた公衆浴場で,古代ローマの文化施設には浴場も含まれていたことを物語っている。

カラカラ浴場 カラカラ浴場

ヴィラデステ ヴィラ・デステ

『ドラゴンへの道』では,フォロ・ロマーノのシーンに続いてヴィラ・デステ(エステ家の別荘)(写真)が登場し,ブルース・リーのガールフレンドが「古代の皇帝がつくった別荘」と説明する。しかしこれは間違いで,エステ家別荘がつくられたのはルネサンス後期,すなわち近世である。しかし,雰囲気としては「古代の皇帝がつくった別荘」で正しいのかもしれない。多様な時代の空間が重なって,今日のローマのイメージが形成されているのだと思う。

 

パンテオン パンテオン

太陽がいっぱい』(1960年,ルネ・クレマン監督)は,アラン・ドロンがトム・リプリーを演じたサスペンス映画の傑作である。トムは富豪の息子=ディッキーを殺して彼になりすます。物語はローマの他にもいくつかの場所で展開するが,トムが「0:53:36」にローマに戻るシーンの背景にパンテオン写真)が映っている。

パンテオンは120年頃に皇帝ハドリアヌスによって建てられた神殿(万神殿)。内径42.8メートルの円形平面の上に半球型ドームの屋根が架かる。床面から天井の最頂部までの高さは42.8メートル。すなわち,内部空間は直径42.8メートルの球を内包する大きさをもつ。頂部には円形のトップライトがあり,内部に光を落とす。パンテオンの壮大な内部空間は古典的建築空間の一つの典型であろうと思う。

この内部空間は,ルネサンス以降の建築に多大な影響を与えていく。たとえば,サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(イタリア・フィレンツェ)のドームの内径は45.2メートルで,パンテオンとほぼ同じである(高さは100メートルを超える)。ヴァチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂の16世紀に完成したドームの内径も42メートルである(同じく高さは100メートルを超える)。いずれのドームも天高くそびえる形態をもつが,サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームは2重の,サン・ピエトロ大聖堂は3重の構造をもっており,外形の高さは内部の天井高に一致していない。ルネサンス以降の教会のドームは,外形こそは大きく変化するが,内部空間の大きさはパンテオンに決定づけられたといえる。

 

ナヴォーナ広場 ナヴォーナ広場

『太陽がいっぱい』は,1999年に『リプリー』(アンソニー・ミンゲラ監督)というタイトルでリメイクされている(トム・リプリーはアラン・ドロンに代わってマット・デイモンが演じている)。『リプリー』にもローマが登場する(後半にはヴェネツィアも登場する)。「0:33:57」からのトムとディッキー(ジュード・ロー)がディッキーの友人のフレディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)に出会うシーンの舞台はナヴォーナ広場写真)。

ナヴォーナ広場は,1世紀にローマ皇帝ドミティアヌス(15〜96年。在位:81〜96年)が造らせた競技場が,歴史を経て広場に変わったものである。競技場であったことが広場の形態を決定づけてはいるが,中央には近世バロック期に「四大河の泉」と呼ばれるジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598〜1680年)による噴水などが置かれるようになり,古代とは異なる今日の姿に至っている。

 

古代ローマは,多様な都市施設の複合体としての都市であった。古代エジプトのピラミッドが単独の建築であったのに対して,古代ローマの建築群は都市を形成していた。ローマ帝国は,ヨーロッパ全土に渡って勢力を広げ,各地に都市を建設した。現在のイタリアに限らず。ヨーロッパの各地には古代ローマの都市の面影が残る。

ゼゴビア水道橋 ゼゴビアの水道橋

各地に残る水道橋も古代ローマの都市施設としての遺産である。フランス南部のニーム近郊にあるポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)は世界遺産に指定された水道橋。BC19年頃に建造された石造の橋で,三層のアーチが高さ49メートル,長さは275メートルの橋を形づくっている。スペインのゼゴビアの水道橋写真)も,ローマ時代の水道橋である

スポレトの水道教 トーリ橋(スポレト)

イタリアのスポレトにあるトーリ橋写真)は13世紀につくられたものとされるが,もともとは古代ローマ人が建設した水道橋があったといわれている。

3-2. 円形劇場での闘い(闘技場)

古代ローマを描いた映画『グラディエーター』(2000年,アメリカ,リドリー・スコット監督)のオープニングには次の説明が流れる。

全盛期のローマ帝国は,その勢力をアフリカの砂漠から,英国の北限地域まで伸ばし,世界の人口の1/4は,ローマ帝国の支配下にあった。西暦180年。マルクス・アウレリウス皇帝は,ゲルマニア征服を目前にしていた。この地を得れば,ローマの勝利は不動となり,帝国全土に,念願の平和が訪れる。

マルクス・アウレリウスは実在の人物。ローマ帝国の最盛期とされる五賢帝の時代の最後の皇帝である。映画では悪役となるコモドゥス(161〜192年,在位:180〜192年)も実在するマルクス・アウレリウスの実子である。ラッセル・クロウが演じたマキシマスは実在の人物ではないはずだが,この物語にはまったくの架空とは思えないリアリティーがある。

五賢帝の時代には皇帝は世襲制ではなく,元老院議員のなかから選ばれた後継者が皇帝の養子となっていた。マルクス・アウレリウスは軍の司令官=マキシマスを後継者にと考えるが,そこからコモドゥスの悪行が始まる。コモドゥスの策略によってマキシマスは妻子を奪われる。そして,剣闘士(グラディエーター)となり,ローマ皇帝となったコモドゥスと対決する。

コロッセオ コロッセオ

「2:18:28」からの映画のラストシーンでマキシマスとコモドゥスはローマのコロッセオ(闘技場)(写真)で闘う。ローマ皇帝が自ら剣をもって闘うという展開はきわめて映画的だと感じられるが,実在のコモドゥスは険闘士やライオンと闘った皇帝だったという。

ラストシーンに限らず,『グラディエーター』にはコロッセオでの格闘シーンが何度か登場する。CGによって見事に再現されたローマの都市が繰り返し描かれるが,都市の全体像は背景に過ぎず,おもな舞台はコロッセオである。

コロッセオ(内部) コロッセオ

闘技場は円形劇場(アリーナ)とも呼ばれるが,古代ギリシャ時代の扇形の劇場とは形式が異なる古代ローマ時代独特の建築だ。剣闘士の格闘などを観覧するための建築であったから,劇場というよりは「殺し合いの場」である。平面形は円または楕円形で,闘いの場を観客席が囲む。古代ローマ時代には各地に闘技場がつくられた。現存する最古の闘技場はポンペイにあり,BC80年頃に建てられたものだという。

コロッセオが完成したのは80年。平面は,長径188m,短径156mの楕円形。外壁の高さは48m。4層から成る立面には,ドーリス式,イオニア式,コリント式の円柱がアーチをはさんで並ぶ。階段状の観覧席があり,5万人を収容したという。地下には剣闘士や動物を収容する部屋や,セリなどの舞台装置もあった。「1:44:05」からのコロッセオでの闘いのシーンでは,セリから虎が飛び出しマキシマスを襲う。

 

1964年に製作された『ローマ帝国の滅亡』(アンソニー・マン監督)も『グラディエーター』と同様,マルクス・アウレリウス皇帝の死とその後を描く物語である。『ローマ帝国の滅亡』でも,皇帝=コモドゥスは剣での闘いを好み,自らが主人公=リヴィウスと闘う。この構図は『グラディエーター』と同様だ。

映画前半の舞台は,マルクス・アウレリウスが指揮する北方での戦いの地。その地で,マルクス・アウレリウスは軍の司令官=リヴィウスを後継者にと考える。しかし,マルクス・アウレリウスは側近に毒殺され,史実の通り,実子=コモドゥスがローマ皇帝の座に就く。そして,以降,帝国の衰退が始まり,リヴィウスはコモドゥスと対立していく。

「1:20:30〜」に新皇帝=コモドゥスのローマの街に凱旋するシーンがある。映画に映るローマの街には,古典オーダーの列柱が立つ建築が建ち並ぶ。アーチも多用されている。すなわち,ローマの街は,そびえ立つ壁というよりは柱やアーチが連続する空間である(列柱の向こうに壁はあるのだが,目に付くのは壁ではなく柱である)。

「1:27:46〜」にはコモドゥスが議会で演説するシーンがある。このシーンに登場する室内空間も,壁に囲まれた空間ではなく,列柱とアーチに包まれた開放的な空間である。

 

そして,もう一本,古代ローマ時代の剣闘士を描いた映画に『スパルタカス』(1960年,スタンリー・キューブリック監督)がある。『グラディエーター』のマキシマスや『ローマ帝国の滅亡』のリヴィウスは架空の人物だが,スパルタカス(〜BC71年)は紀元前1世紀を生きた実在の人物である。奴隷として剣闘士となることを強いられるが,BC73年に剣闘士養成所から脱走。奴隷や農民を組織しローマ軍と戦い,最後にはローマ軍に捕らえられ処刑されるが,その大規模な反乱はローマ支配階級を戦慄させたといわれている。

ポンペイ ポンペイ

他に,1935年に製作された『ポンペイ最後の日』にも剣闘士の世界が描かれている。『ポンペイ最後の日』はいくつかの異なったバージョンの映画が存在するのだが,いずれも79年8月24日に起こったベズビオ火山の噴火によって壊滅した都市=ポンペイ写真)を舞台としていることに違いはない。ポンペイの町は火山灰の下に埋もれ凍結されたが,16世紀末に一部が発見され,以後,発掘が進んだ。今では,世界遺産『ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域』の一部として,古代ローマ都市の神殿,議場,広場,大浴場,劇場などの姿を物語っている。

映画『ポンペイ最後の日』には,イギリスの小説家リットンの同名歴史小説を原作とするバージョンがある一方で,1935年版は原作とは異なる物語となっている。ローマ帝国の都市として繁栄するポンペイの鍛冶屋=マーカスは,医者の支払いのために,最初はやむなく闘技に出場する。しかし,以降は職業的な剣闘士としてポンペイのスターとなっていく。

 

『グラディエーター』でも『スパルタカス』でも,剣闘士は大衆の享楽のために殺し合いを強いられる奴隷として描かれている。しかし,『グラディエーター』に描かれているように,剣闘士は奴隷ではあってもスター性をもっていた。あるいは,『ポンペイ最後の日』に描かれているように,高額の報酬を得ることができ,自由な身分であることもあった。貴族などが自ら望んで剣闘士になることもあったという。皇帝コモドゥス自らがコロッセオでマキシマスと闘う『グラディエーター』のラストシーンには,コモドゥスが大衆の人気を得たマキシマスの扱いに困惑したという設定があるから,皇帝が剣をもつことにもそれなりの説得力はある(コモドゥスは卑怯な手を使うので,両者の闘いは公平ではないが…)。

 

前述したブルース・リーが監督・主演した『ドラゴンへの道』(1972年)の「1:21:14」からのクライマックス・シーンにもコロッセオが登場している。コロッセオのシーンで,ブルース・リーは,当時,空手の世界チャンピオンだったチャック・ノリス(後の多くのアクション映画に主演する)と闘う。

およそ10分の決闘シーンの中には,プライドを賭けた攻防と敗者の尊厳が塗り込められている。ブルース・リーは,勝敗が決し立ち上がれなくなったチャック・ノリスにとどめ刺す。映画としては,闘いの結末を死としない描き方もあっただろうと思うが,死を結末とすることで,敗者の尊厳を強調したのだと思う。コロッセオにはその描き方が似合っていたのではないか?

観客のために殺し合うというコロッセオでの闘いの構図は今日ではありえない(あってはならない)ことだ。しかし,古代ローマを生きた人々にとっては,剣による闘いに限らず,死はずっと身近なものであったろうと思う。ローマの平和は戦争を背景としたものであって,多くの若者が戦争において死を迎えていたはずだ。コロッセオでの闘いは古代ローマにおいては戦争世界の縮図であり,死を意味づけるために必然だったのではなかったかと思う。

実際にはありえないことだが,「殺し合い」は映画には必須のテーマである。刑務所で繰り広げられる殺人レースを描いた『デス・レース』(2008年),主演のアーノルド・シュワルツェネッガーが,テレビ番組「ランニングマン」のために闘う『バトルランナー』(1987年)など,殺人ゲームを題材にした映画はいくつもある。そういった映画を「享楽のための殺し合い」を題材とする安易な映画と見なすことは簡単だが,バカげた闘いに巻き込まれる主人公たちの行動は必ずしも安易ではなく,安易な闘いを乗り越えようものであることが多い。

スポーツ精神にのっとった正当なゲームである現代のスポーツをコロッセオでの闘いと同列に論ずるのは危険だが,剣闘士の闘いの中にも,スポーツに共通する何かが内在していたといえるかもしれない。

 

『グラディエーター』や『スパルタカス』の他にも古代ローマを描いた時代劇は多いが,映画史に残る一作に『ベン・ハー』がある。ユダヤ人ベン・ハーの生涯を描く『ベン・ハー』は,1959年に製作されたチャールトン・ヘストン主演,ウィリアム・ワイラー監督によるものが有名だが,1959年版は1926年製作のサイレント版(フレッド・ニブロ+リーヴス・イースン共同監督)のリメイクである。『ベン・ハー』からは,ユダヤ人の複雑な歴史と西ローマ帝国滅亡の背景にキリスト教の台頭があったことを伺い知ることができる。

1926年版でも1959年版でも,この映画の圧巻は円形の競馬場で行われる競馬レースのシーンだ。古代ローマの競馬場を舞台に,アレキサンドリア,メッシーナ,カルタゴ,キプロス,ローマ,コリント,アテネ,フリジア,ユダヤといった都市国家の騎手たちが競争馬車を操り死闘を繰り広げる。『グラディエーター』や『スパルタカス』のような剣による闘いではないが,闘いの構図は類似している。

チルコ・マッシモ チルコ・マッシモ

現在のローマ市内にも古代ローマの競馬場=チルコ・マッシモ写真)の跡地がある。今日の姿は,のどかな公園という感じであるが,古代ローマ時代には,およそ600×200メートルの平面の中に560×80メートルのアリーナ(競技場)があり,20万人をこえる観客を収容したという5。チルコ・マッシモはBC600年頃に建設され,改修・拡張をしながら,6世紀までローマ市民の娯楽の中心として機能した。

 

『スターウォーズ』シリーズの第4作,『スターウォーズ/ファントム・メナス』(1999年,ジョージ・ルーカス監督)には,幼い日のアナキン・スカイウォーカー(後のダースベーダ)がポッド・レースで活躍するシーンが描かれている。『スターウォーズ』の時代設定は歴史の外の「はるか昔」であるから,このポッド・レースは歴史上のシーンではない。しかし,このシーンと『ベン・ハー』の競馬シーンの類似性は一見すれば明らかであろう(ポッドは宙に浮く未来的な乗り物で,馬車とはまったく違う空想の産物であるが…)。ここにも,SF映画に塗り込められた過去の歴史がある。すなわち,古代ローマの空間は今日にも息づいている。

 

『グラディエーター』の冒頭のシーンを見るとよくわかるのだが,ローマ軍は圧倒的な火力によってゲルマニアを制圧する。最後は剣と剣の闘いになりはするが,ローマ軍はカタパルト(燃えたぎる石を打出す装置)や火矢で先制攻撃をするので,互角の闘いには見えない。『2001年宇宙の旅』(1968年)の冒頭の「人類の夜明け」を描いたシーンには,道具の使い方を覚えた人類と動物との闘いが描かれている。ローマ軍とゲルマニア軍の戦いは『2001年宇宙の旅』の道具を持つ者と持たざる者の闘いを連想させる

 圧倒的な武力によってヨーロッパ世界を支配したローマは,堅固で豊かな古代ローマの文化を築きあげる。しかし,ローマ帝国は395年に東西に分裂し,ローマを首都とした西ローマ帝国は476年に滅亡する。

 

中国に『万里の長城』(世界遺産)が築かれたのは,秦の始皇帝(BC259〜BC210)の時代である。万里の長城は,外敵の侵入を防ぐためにつくられた2000キロにも及ぶ世界最長の長城だった。始皇帝の時代を描いた一つのファンタジー映画には『英雄/ヒーロー』(2003年,チャン・イーモウ監督)などがある。

レッドクリフ』(2008年,ジョン・ウー監督)は,ローマ帝国がヨーロッパを支配していた頃の中国を舞台とする映画である。ここには,魏の曹操(155〜220年),呉の孫権(182〜252年),蜀の劉備(161〜223年)の三皇帝が対立する三国時代を背景として,「三国志」の物語の一幕である「赤壁の闘い」が描かれている。

時代はいつも,場所を越えて,ある共通性を孕んでいる。闘いを背景とた古代の時代には,多様な建築が誕生し,成熟した文化を形成していった。

3-3. ビザンチンの風景(イスタンブール)

トルコ地図

前述したように,ローマ帝国は395年に,ローマを首都とする西ローマ帝国とコンスタンティノープル(現在のトルコ・イスタンブール)を首都とする東ローマ帝国(ビザンチン帝国)に分裂する。西ローマ帝国は476年に滅亡するが,東ローマ帝国は1453年まで存続する。

東ローマ帝国の時代は,いわゆる中世ビザンチン時代であり,古代が終わりを告げた後の中世の一幕である。『ベンハー』や『ポンペイ最後の日(1935年)』に描かれているように,もともとローマ帝国はキリスト教を迫害していた。ローマ帝国がキリスト教を公認するのは380年のことで,すなわち,ローマ帝国の衰退はキリスト教の普及と無縁ではない。一方,西ローマ帝国が消滅して以降の中世は,キリスト教の時代である。中世の建築のテーマは,キリスト教の教会をいかにつくるかに集中していたといえる。

 

ハギア・ソフィア ハギア・ソフィア

ハギア・ソフィアは,コンスタンティノープル(イスタンブール)に建てられた大聖堂(キリスト教の教会)である。現存のハギア・ソフィアは6世紀に建てられたものだ。

ハギア・ソフィアは,直径約33mの中央ドームを,左右に設けられた半球ドームとアーチが架かった4本の柱が受ける構造をもっている。ペンデンティブドームと呼ばれるこの構造形式によって,四角い部屋の上部に架かる円形ドームが出現している。

東ローマ帝国は15世紀に滅亡し,ハギア・ソフィアは,オスマントルコによってイスラム教のモスク(イスラム教の教会)に転用される。現在のハギア・ソフィアには,ドームの周囲に4本のミナレット(尖塔)が置かれているが,このミナレットはモスクとして使われるようになった際に増築されたもので,建設当初のオリジナルではない。元々は存在しなかったはずのミナレットではあるが,宗教的な観点はさておき,建築の形態としては,ドームとミナレットによる構成が,イスラム教モスクの原型を形成するようになったと思える。それほどまでに,大屋根であるドームと塔であるミナレットの構成は決定的だ。

ブルーモスク スルタンアメフトモスク

イスタンブール旧市街には,ブルーモスクと呼ばれるもう一つの壮大なモスクが建っている。正式な名称はスルタンアメフトモスクというが,内部の礼拝堂に青く輝くタイルが使われていることからブルーモスクという愛称で親しまれている。ブルーモスクは17世紀前半に建てられたものなので,建設年代はハギア・ソフィアとはまったく異なっているが,複合するドームとミナレットをもつハギア・ソフィアとブルーモスクはよく似た形態をもっている。ちなみに,ハギア・ソフィアは赤い外観からレッドモスクと呼ばれることもあり,ハギア・ソフィアとブルーモスクは,赤と青の対を成している。

現在のイスタンブールには,ハギア・ソフィア,ブルーモスクの他にも,ドームとミナレットによって構成されたモスクがいくつも存在する。

 

今日のイスタンブールの建築・都市の姿が登場する映画の一つに,『007/ロシアより愛をこめて』(1963年,イギリス,テレンス・ヤング監督)がある。この映画では,前半の舞台がイスタンブールに設定されていて,ハギア・ソフィアやブルーモスクの外観や町の風景は随所に挿入されている。中盤にはイスタンブールとロンドンを結ぶ豪華列車=オリエント急行が登場する。

ジェームズ・ボンドは「0:24:50」にイスタンブールに到着し,グランド・バザールにあるオフィスに向かう。「0:34:40」からはイエレバタンサライ(地下宮殿)が登場する。「0:55:52」からがハギア・ソフィアでのシーンで,ハギア・ソフィアの内部でボンドはタチアナ(秘密組織スペクターの手助けをするソ連側の人物。この映画でのボンドガール)から地図を受け取る。「0:59:56」からの,ボスポラス海峡を行くボート上でのボンドとタチアナの会話の背景には,ドルマバフチェ宮殿が映る。

グランド・バザールは4000軒といわれる数多くの店舗が集まる屋内市場。中東では最大規模という。地下宮殿は,東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世(483~565年。在位527~565年)が建設したといわれる貯水池。列柱がヴォールト天井(円筒形の天井)を支える。ドルマバフチェ宮殿は,1453年に東ローマ帝国を征服したオスマン帝国のスルタン(王)=メフメト2世(1432〜1481年)が建設した宮殿である。

 

『007シリーズ』では,1999年の『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』でもイスタンブールが登場する。「1:21:49」に場面がイスタンブールに切り替わり,ボスポラス海峡に浮かぶクズ塔(乙女の塔)が悪の組織の基地として登場する。クズ塔の起源はBC341年まで遡るという。現在に至る長い歴史の中で,霊廟,税関,要塞,伝染病の検閲所,灯台など,その用途は変化し,現在ではレストランとして使われている。さまざまな用途の一つとして,1999年には映画のセットとして使われたということだろうと思う。『ワールド・イズ・ノット・イナフ』では,クズ塔の背景としてイスタンブールの遠景が移るが,カメラは街中には入らない(ラストにホテルのシーンはあるが…)。

国際企業の闇のシステムを描いた『ザ・バンク/墜ちた巨像』(1999年)もイスタンブールの町と建築を生かした映画である。カメラはモスクの内部や地下にまで入っている7。パリでおきた連続殺人事件の謎をめぐる『エンパイア・オブ・ザ・ウルフ』(2005年,クリス・ナオン監督)も後半で舞台がトルコに映り,「1:44:23」にイスタンブールの風景が現れる。場面はすぐにイスタンブールからカッパドキアに移るのだが,トルコに移動したことを印象づけるために,モスクの建つイスタンブールのカットが必要だったのだと思う。イスタンブールを舞台にした映画の一つとして,アラン・パーカー監督の『ミッドナイト・エクスプレス』(1978年)も思い浮かぶ。しかし,この映画はイスタンブールの刑務所に入れられたアメリカ人を描いた物語で,冒頭の短いシーンでイスタンブールの街並みが現れるだけである。

 

さて,イスタンブールの街は,西洋と東洋を隔てるボスポラス海峡の東西にまたがっている。ハギア・ソフィアやブルーモスクが建つ歴史地区はボスポラス海峡の西側に,新市街は東側に位置する。他の都市にもあてはまることだが,海からのアプローチはイスタンブールにとっても重要なものだった。だからこそ,クズ塔は歴史の中でさまざまな役割を果たしてきたのだろう。

前述した『スターウォーズ/ファントム・メナス』(1999年)の前半20分あたりは,惑星ナブーのシード宮殿が舞台となり,2人のジェダイ(騎士)が女王アミダラの救出に向かうシーンがある。ここに映るシード宮殿はハギア・ソフィアの引用であると感じられる8。川から宮殿へと向かう2人のジェダイのアプローチもイスタンブールのロケーションを想起させる。『スターウォーズ』は歴史の外のSF映画ではあるが,ローマ帝国の時代と歴史映画のように見ることもできる。

3-4. 天球の建築(ヴェネツィア,ローマ,ロンドン,パリ)

ペンデンティブドーム ペンデンティブドーム

ハギア・ソフィア以降,四角い平面を覆う屋根としてのドームであるペンデンティブドーム)がビザンチン建築の様式として定着する。ペンデンティブドームはビザンチン時代に成立し,その後の建築史において重要な役割を果たしていく。前述したパンテオン神殿のドームは円形平面の上に架かったドームであり,ペデンティブドームではない。

サンマルコ大聖堂 サン・マルコ大聖堂

サンマルコ大聖堂ドーム サン・マルコ大聖堂のドーム

イタリア・ヴェネツィアのサン・マルコ広場の正面に建つサン・マルコ大聖堂写真)もペンデンティブドームを持つ。現在の建物は1063年頃起工され,1071年完成したものである9。屋根は,中央のドームを前後左右のドームが取り囲む5つのドームにより構成されている。ハギア・ソフィアと同様に,十字形の四角い平面に円いドームが載るペンデンティブドームであるが,中央ドームの内径は約13mで,ハギア・ソフィアに比べればずっと小さい。また,ハギア・ソフィアのドームは,平面の大きさ(上部から見た場合のドームの直径)に対するライズ(高さ)が大きくないが,サン・マルコ大聖堂のドームは,ライズが高くタマネギ型に膨らんだ球形ドームであり,形態的な印象は随分と異なっている。

今日までに数多くのドームをもつ建築がつくられてきた。その多くは教会や議事堂などの公共的な建築であり,世界遺産に登録されたものも多い(数えたことはないが,数多いはずである)。それらのドームの原型は,ローマ時代からビザンチン時代に完成したと考えられる。

球形の形態をもつドームはよく目立つ。映画にもドームはよく登場する(ドームの登場する映画を体系的に整理できていないが,ドームの登場する映画は数多いはずだ)。ここで,ローマ時代,ビザンチン時代以降の代表的なドームについて触れておきたい。

 

サンピエトロ大聖堂ドーム サン・ピエトロ大聖堂

先の「3-1. 建築の複合体としての都市」で触れた『ローマの休日』のタイトルバックに登場するサン・ピエトロ大聖堂写真)は,中世以降のルネサンス,バロックの時代に建築されたものであるが,もともとはローマ時代に創設された教会であった。現在の大聖堂には,中央に16本のリブから成る二重殻構造のドームがあり,ドーム頂部の塔を含む高さは132.5メートルに達する。このドームは,ミケランジェロ(1475〜1564年)の設計とされている。

サン・ピエトロ大聖堂はヴァチカン市国(イタリア・ローマにあるローマ教皇領。イタリアの中にありながらにして世界最小の独立国)に建つカトリック教の大本山。サン・ピエトロ大聖堂の姿は数多くの映画に登場する。

1章の「1-8. 形象から空間へ」で取り上げた歴史ミステリー『ダ・ヴィンチ・コード』の続編にあたる『天使と悪魔』(2009年,ロン・ハワード監督)には,ローマ市内の歴史的な建築(観光名所)が多数登場する。その中でも,ヴァチカン市国が物語の中心的な舞台となり,サン・ピエトロ大聖堂の他,ヴァチカン宮殿の礼拝堂であるシスティーナ礼拝堂(1473~84年)や大聖堂の前に広がるサン・ピエトロ広場(1656‐67年。大回廊はベルニーニの設計)が描かれている。

フランシス・フォード・コッポラ監督による『ゴッドファーザー』シリーズの『ゴッドファーザー Part3』(1990年)にもヴァチカン市国が登場する。『Part1』で,ビトー(マーロン・ブランド)からマフィアのドン(ボス)の地位を継承したマイケル(アル・パチーノ)は,ヴァチカンの大司教と手を結ぼうと画策する。「0:49:25」でサン・ピエトロ大聖堂の姿が現れる。「1:44:33」で大司教ポール6世が死去し,「2:03:28」から後継者を選ぶ投票が始まる。『天使と悪魔』でも大司教を選ぶ投票が描かれていて,両者を比較するとおもしろい。

 

ハドソン・ホーク』(1991年,マイケル・レーマン監督)は,ヴァチカン美術館所蔵のレオナルド・ダ・ヴィンチのノートをブルース・ウィリス演じる泥棒=ハドソン・ホークが盗み出す物語だった。眠らされてローマに移送されたハドソン・ホークが「0:35:21」に目覚めると,窓からコロッセオが見える。ハドソン・ホークはそこから車でエウルに連れて行かれる。その途中,車窓からヴィットリオ・エマヌエル2世記念堂を(見るカットがある。エウルは,1930年代にローマ近郊につくられた新都市で,エウルという名称は,1942年にムッソリーニが開催を予定していたローマ万国博覧会の略称に由来する。エウルに建てられた文化宮殿(1942年)がハドソン・ホークを操ろうとする組織のアジトになっていた13。そして,「0:40:10」に,サン・ピエトロ広場の向こうにサン・ピエトロ大聖堂が姿を現す。その他,「0:45:50」にはナヴォーナ広場が登場し,「1:09:36」にフォロ・ロマーノが現れるなど,ローマの見所がいくつか写されている。

 

さて,ここで興味深いのは,サン・ピエトロ大聖堂ドーム内部の直径が42メートルだということだ。42メートルの直径は,先に「3-1. 建築の複合体としての都市」で触れた古代ローマ時代のパンテオンのドームと同じ寸法であり,42メートルという数字は,その他のドームの直径にも共通するマジックナンバーである。

イタリア・フィレンツェに建つサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドーム内部の直径も45.2メートルとされており,42メートルに近い。中世に終わりを告げ,新しい時代=ルネサンスの始まりの象徴となったサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームは,ブルネレスキ(1377〜1446年)によって設計され,1420年から14年をかけてつくられている。

「フィレンツェのドゥオモは恋人たちのドゥオモ/永遠の愛を誓う場所」。これは『冷静と情熱のあいだ』(2001年,中江功監督)の冒頭のモノローグである。『冷静と情熱のあいだ』は,フィレンツェ,ミラノ,東京を舞台とする純愛映画。フィレンツェのドゥオモ=サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は,すれ違ってしまった恋人たち(竹野内豊が演じた順正とケリー・チャンが演じたあおい)が再会を果たす場として描かれる。再会のシーンは「1:36:51」から。

サン・ピエトロ大聖堂のドームもそうだし他の多くのドームがそうであるように,サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームは頂上に登ることができる。『冷静と情熱のあいだ』には,順正がドームを登り,その頂上であおいと再会する。映画は空撮を交え,美しいフィレンツェの町の頂上に立つ恋人たちを映し出す。恋人たちにとっては,そこが世界の中心なのだろうと思う。中心にドームが高くそびえることは,一つの町の象徴的な姿だろうとも思う。

アルノ川 ポンテ・ヴェッキオ

フィレンツェの風景としては,ドゥオモの他,たとえばアルノ川などが幾度もスクリーンに映る(写真はアルノ川に架かる橋=ポンテ・ヴェッキオ。1345年につくられた橋で,橋の上に貴金属店などが建つ)。「0:29:15〜0:30:09」にはレプブリカ広場が映るシーンがある。フィレンツェの駅=サンタ・マリア・ノヴェッラ駅(1:55:00〜1:57:28)とミラノ中央駅(1:58:27〜のラストシーン)でも撮影されている。

 

テンピエット テンピエット

ヴェスタの神殿 ヴェスタの神殿

空に持ち上げられたドームの形態は,盛期ルネサンス時代の建築家=ブラマンテ(1444〜1514年)がローマのサン・ピエトロ・イン・モントーリオ聖堂の中に設計したテンピエット(1502年)(写真)によって決定づけられた。しかし,その形態の起源は古代ローマ時代に建てられたヴェスタの神殿写真)に見ることができる。古代ローマ建築が,1000年以上の月日を超えて今日にまでつながる建築の形態を生み出していたことは特質に値する出来事である。

ヴェスタの神殿はの建築で,先に「3-1. 建築の複合体としての都市」で触れた『ローマの休日』にも登場する小さな建築である。この建築がもつ古代建築のオーダー(形態)がルネサンス以降のドームの形態に大きな影響を与えた。

セントポール大聖堂 セント・ポール大聖堂

パリパンテオン パリ・パンテオン

ヴェスタの神殿の形態はテンピエットに受け継がれ,そして,この円形に並ぶ列柱の上に空高く持ち上げられたドームの形態が,たとえばロンドンのセント・ポール大聖堂写真)やパリ・パンテオン写真)など,後世のドームの形態を決定づけた。

今日のセント・ポール大聖堂は1710年に完成したイギリス・ロンドンの大聖堂(カテドラル。司教区全体の中心となる司教座をおく聖堂)。ドームは3重殻の構造をもつ。クリストファー・レン(1632〜1723年)の設計はバロックの時代にふさわしい優雅な姿を見せているが,基本的な形態構成はテンピエットに共通する。

1962年に製作されたデヴィッド・リーン監督の『アラビアのロレンス』には,オートバイ事故を描いた冒頭の名シーンに続く「0:07:43〜」に,トーマス・エドワード・ロレンス(1888〜1935)が眠るセント・ポール大聖堂が登場する。トーマス・エドワード・ロレンスは,第一次世界大戦下において,オスマントルコ(オスマン帝国)の支配下にあった中東アラブの独立の助けた実在の人物である。映画においては,セント・ポール大聖堂の前で,「砂漠の反乱はー,中東戦線で 決定的役割を果たした」というセリフが語られる。

ディズニー製作のミュージカル映画の傑作『メリー・ポピンズ』(1964年,ロバート・スティーブンソン監督)の「1:24:00〜」にメリー・ポピンズを演ずるジュリー・アンドリューズが「Feed the Birds(2ペンスを鳩に)」を歌うシーンがある。このシーンで,メリー・ポピンズはセント・ポール大聖堂の置物を手にして「Early each days to the steps of St. Paul’s/The little old bird woman comes(セント・ポール寺院の石段に/年老いた婦人が毎日やってきて)」と子供たちに歌って聞かせる。そして,置物は大聖堂のイメージにオーバーラップする。子供たちは歌を聞きながら眠るのだが,次の日,子供たちは大聖堂の前で鳩の餌を売る老婦人を見かける。

パリ・パンテオンは,1790年にサント・ジュヌビエーブ聖堂として,ジャックス・ジャーマン・スフロ(1713〜1780年)の設計により建てられた。古典建築の形態を単純化・抽象化した新古典主義の特徴が表れており,ドームの下部にあたる十字形の堂の部分には窓が見られず,基壇のように見える。ドームは高く持ち上げられ,堂から切り離されているように見える。街並みから堂々としたドームが立ち上がった姿もパリの風景である。

フランス映画『PARIS』(2008年,セドリック・クラピッシュ監督)は,パリに生きる人々の日常を情感たっぷりに描いている。「皆 幸運に気がついていない/歩いて 息して 走って/口論して 遅刻して… なんという幸せ/気楽にパリで 生きられるなんて」というのがが心臓病を患う登場人物(たくさんいる登場人物のうちの一人)のセリフである。風景としてのパリの街並みと建物が効果的に画面を流れる。パンテオンは「0:52:23」に現れる(タイトルバックの「0:01:21」にも現れる)。国立図書館や新オペラハウスなどの新しい建築も登場する。

 

サン・ピエトロ大聖堂やサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂,あるいはテンピエットは,ルネサンスという中世以降の新しい時代の建築である。ルネサンスは時代の新しさを中世以前の古代ローマの姿に求めた。ルネサンスは「Re-New=再び新しい」という意味をもち,日本語では「文芸復興」と訳される言葉である。歴史は,建築の普遍的な(古典的な)美の起源を古代に見いだし,その美を今日にまで伝えてきた。建築の歴史は積み重なり,その姿は映画に記録され続けている。