映画に描かれた建築・都市

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ロマネスク建築

10世紀末から12世紀にかけて西ヨーロッパ全土に広まったロマネスク様式の建築。聖堂は一般にラテン十字形の三廊バシリカ形式を持ち,前時代の平らな木造天井は石造の半円筒ヴォールトや交差ヴォールトに変わる。その結果,半円形アーチがロマネスク建築の基本的要素として,扉口・窓・アーキヴォールト・壁面石組・アーケードなど,至るところに現れる。石造ヴォールトの重圧を支えるために,建物の壁は重厚・堅固で窓は少なく,堂内は暗い。更に側廊の上にトリビューンを設け,外壁にバットレスを付して横圧を支えることも多い。東端のアプスは半円形で,その床下にはクリプトが造られる。巡礼教会の多くは内陣に周歩廊と放射状祭室を持つ。ノルマンディ地方やイギリスの聖堂には,最初のリブヴォールトが使用され,既にゴシックへの移行段階を示している例もある。(「建築大辞典〈縮刷版〉,1976年,彰国社」より)

薔薇の名前

DVDに収録されたドキュメンタリーおよびジャン・ジャック・アノー監督へのインタビューにおいて,エバーバッハ修道院での撮影の様子が語られている。

アッシジ

今日のアッシジは「アッシージ,聖フランチェスコ聖堂と関連遺跡群」という名称で世界遺産に登録されている。

ル・トロネ修道院

シトー会の修道院。シトー会は,1098年にフランスのシトーで創立されたカトリック教会の修道会。各地に多くのシトー派修道院を建てられた。南フランスでは,ル・トロネ修道院の他に,セナンク修道院,シルヴァカーヌ修道院などを訪れることができる。

タイバー

タイバーはアーチやヴォールトを効率よく支えるための部材であるが,内部空間に露出するタイバーは,視覚的には目障りな存在かもしれない。ロマネスク建築の後に続くゴシック建築では,フライングバットレスと呼ばれる部材を壁の外部に配置することにより,内部にタイバーを用いられることはなくなる。

シェーン

2人のネゴシエーター(人質を伴う立てこもり事件等の犯人との交渉を担当する警察官)の頭脳戦を描いた『交渉人』(1998年)の「1:01:20」に,『シェーン』のラストシーンの解釈を巡る会話がある。サミュエル・L・ジャクソン演じるローマンが言うように,「シェーン,カムバック」と叫ぶジョーイの声を背に受けながらシェーンが馬に乗って去っていく。去っていくのだから死んではいないというのが自然な解釈なのだが,ケヴィン・スペイシー演じるセイビアンはシェーンは死んでいる,死んでいたから振り向けなかったと主張する。映画の多義性を巡るこのおもしろいやりとりは,『交渉人』自体のラストシーンの展開の伏線にもなる。

その『交渉人』も,閉鎖空間を舞台とする映画だ。同僚を殺したという濡れ衣を着せられたシカゴ警察の交渉人=ローマンは,「0:30:50」からのシーンで,シカゴ川沿いの高層ビル(市行政ビル)の20階に立てこもる。そして,「1:58:10」にビルを脱出するまで,ローマンは閉鎖空間に立てこもる。とはいっても,この映画の場合,物語は閉鎖空間の中だけで進むわけではなく,外部とのやりとりも物語の軸ではある。

イグアスの滝

イグアスの滝は「イグアス国立公園」という名称で世界遺産に登録されている。ナイアガラの滝(アメリカとカナダの国境),ビクトリアの滝(南アフリカとジンバブエの国境)とともに,世界3大瀑布の一つといわれる。

シャイニング

劇中のオーバールック・ホテルの外観の撮影には,オレゴン州の山岳リゾートホテルである「ティンバー ライン・ロッジ」が使われているといわれている。

プレデター

ジョン・マクティアナン監督作品には,『ザ・スタンド』(1992年),『閉ざされた森』(2003年)など,なぜかジャングルを舞台とする映画が多い。

13日の金曜日

13日の金曜日 PART2(1981年),13日の金曜日 PART3(1983年),13日の金曜日 完結編(1984年),新・13日の金曜日(1985年),13日の金曜日 PART6 ジェイソンは生きていた!(1986年),13日の金曜日 PART7 新しい恐怖(1988年),13日の金曜日 PART8 ジェイソンN.Y.へ(1989年),13日の金曜日 ジェイソンの命日(1993年),ジェイソンX13日の金曜日(2001年),フレディVSジェイソン(2003年)。2009年に『13日の金曜日 FRIDAY THE 13TH』(マーカス・ニスペル監督)が公開されたが,これは第1作のリメイクではなく,第1作に続く物語。

ソウ

続編は,ソウ2(2005年),ソウ3(2006年),ソウ4(2007年),ソウ5(2008年)。

CUBE

続編として,『キューブ2/ハイパーキューブ』(2002年),『キューブ ゼロ』(2004年)がつくられている。

第4話 ロマネスクの空間

年表

中世を描いた時代劇としてもっとも印象的な映画の一つに『薔薇の名前』(1986年,ジャン・ジャック・アノー監督)があった。原作は記号論学者のウンベルト・エーコが1980年に書いた小説で,初代007=ジェームズ・ボンドを演じたショーン・コネリーが殺人事件をめぐるサスペンスの探偵役を演じた。舞台は,冒頭のナレーションによって,「1327年の北イタリアの人里離れた修道院」だと語られる。

ロマネスクという時代は中世の中期,すなわち,中世のもっとも中世らしい時期をさす。1327年という時代は中世盛期(ロマネスク期)ではなく末期だから,映画の背景は終焉に向かう中世(ゴシック期)である。しかし,映画に限らず,終焉が描かれることによってその本質が浮かび上がるがよくある。『薔薇の名前』を中世の空間が鮮明に描かれた映画の一つだと見なすことは的はずれではないであろう。また,そもそも修道院のスタイルは,本質的にゴシックではなくロマネスクであるといえる(次章において述べるが,ゴシックのスタイルが聖堂に明確に表れる)。

映画は,ショーン・コネリーが扮する修道士=ウィリアムとその弟子=アドソ(クリスチャン・スレーター)が山岳地帯を行くシーンで幕を開ける。2人が山上に建つ修道院の堅固に閉ざされた門から内部に招き入れられると,その先には聖堂(教会)が面する広場がある。広場には井戸があり,周囲ではさまざまな作業が行われている。修道院の内部として,礼拝堂,食堂,図書室,カタコンプ(地下墓地)などが描かれ,生活のための小道具もリアルに再現されている。

ウィリアムとアドソが修道院を訪れる冒頭シーンと,そして最後に修道院を去っていくラストシーンを除いて,映画は修道院という閉鎖空間の内部で展開する。そこで殺人事件が起こり,ウィリアムが捜査にあたる。修道院の外観はローマ近郊につくられたセットで,また,内部の礼拝堂等はドイツにあるエバーバッハ修道院で撮影されたという。

「1:31:18」からはウィリアムが所属するフランシスコ会派と教皇派の宗教論争が描かれる。「修道院は聖宝と土地を手放して農民に分配するべき」とするフランシスコ会派と「教会の財産は異教徒との戦いに欠かせない」とする教皇派の討論が始まり,質素な衣服に身を包むフランシスコ会の修道士たちと豪華な衣装をまとう教皇派の修道士たちが論争を繰り広げる。そして,「1:38:08」からは,F・マーリー・エイブラハムが演じる異端審問官=ベルナール・ギーがカトリック教への異端者と魔女を裁く宗教裁判のシーンが展開する。中世は,キリスト教を厳格な規範とするとともに,都市の自治による封建制度に基づく時代だった。

4-1. 修道院の空間(アッシジ,南フランス,アテネ)

中世の実話を描いた映画としては,聖フランシスコ(1181頃〜1226年)の生涯を描いた『ブラザー・サン,シスター・ムーン』(1972年,フランコ・ゼフィレッリ監督)がある。聖フランシスコは清貧を善とするフランシスコ会の創立者。『薔薇の名前』のウィリアム修道士もフランシスコ会の所属という設定になっている。

聖フランシスコはイタリアのアッシジ生まれ。『ブラザー・サン,シスター・ムーン』では,聖フランシスコが軍隊生活に悩み故郷に戻ってからローマ法王に会いに行くまでの姿が描かれている。映画を見ると,当時のキリスト教を背景とした生活,あるいは,キリスト教がさらに普及をしていく様子がよくわかる。

聖フランチェスコ大聖堂 聖フランチェスコ大聖堂

聖キアーラ聖堂 聖キアーラ聖堂

映画では,聖フランシスコ自身の手によって,サン・ダミアノ聖堂が再建される過程が描かれる。映画には描かれていないが,聖フランシスコの死後の1228〜1253年に,アッシジには聖フランチェスコ大聖堂写真)が建設される。アッシジには,聖フランシスコの弟子クララ(1194〜1253年)を祀る聖キアーラ聖堂写真)も1260〜1265年に建てられた。

聖フランシスコ大聖堂や聖キアーラ聖堂は,中世中期のロマネスク様式と中世後期のゴシック様式を合わせもつ建築である。ゴシック様式については後述することとし,ここではロマネスク様式について述べる。

 

トロネ修道院 ル・トロネ修道院

トロネ修道院礼拝堂 ル・トロネ修道院(礼拝堂)

建築のロマネスク様式は,南フランスの残るル・トロネ修道院を見るとよくわかる(写真:外観,写真:礼拝堂,写真:中庭)。12世紀末に建てられたル・トロネ修道院は,厚い石によってつくられた壁とヴォールト(アーチ状の屋根)の建築である。壁に空けられた開口は限りなく小さく,内部に射す光は象徴的に神々しい。アーチによる開口が連続する中庭に面する回廊は開放的ではあるが,中庭との境界には,やはり厚い壁が存在する。

ロマネスクの空間は,柱やアーチが連続する開放的な古代ローマの建築な空間とは対照的に,壁が空間の閉鎖性を決定している。後のゴシック様式では,フライング・バットレス(建物の外部に飛び出る梁によって屋根の荷重を受ける部位)によって壁に大きな開口を空けるようになり,光はステンドグラスによって制御されるようになる。しかし,この時代の光は厚い壁を貫通する。

トロネ修道院中庭 ル・トロネ修道院(中庭)

中世の中期にあたるロマネスクの時代は,ヨーロッパの各地に個性あふれる建築をつくりだした。ロマネスク建築の特徴とされる厚い壁に支えられるアーチ・ヴォールトが各地の修道院に見られるが,ロマネスク建築は特質は統一された建築のスタイルにあるのではなく,むしろ,地方色ゆたかな建築の個性にこそある。

 

ケサリアニ修道院 ケサリアニ修道院

ケサリアニ修道院礼拝堂 ケサリアニ修道院(礼拝堂)

アテネ(ギリシャ)の郊外に建つケサリアニ修道院は11世紀頃の建築である。ケサリアニ修道院もまた厚い壁にこの修道院にはビザンチン風のドームをもつが,ドームを支えるアーチの下部に木製のタイバー(柱の頂部をつなぐ水平な部材)が架かり,ドームを素朴に支えている。ル・トロネなどの南フランスの修道院とは異なる素朴な修道院がここにある。

 

中世は,古代ローマ時代の中央集権とは対照的な封建制度が発展した時代である。ヨーロッパの各地に,城壁で守られた,国家ともいえる自治的な都市が誕生した。そして,都市の中心に教会が建てられ,キリスト教が普及をしていった。中世の都市空間は,厚い壁に守られた空間という意味で,修道院の空間に類似する(中世に確立されていく教会のスタイルについては「第8章 中世ゴシックの空間ー天空への飛翔」で述べる)。

中世は明確な領域をもった都市が生まれていく時代だった。そして,今日のヨーロッパの都市は,中世期に形成された旧市街地の周囲に町が拡張していることはあるとしても,旧市街地を継承している。

5-2. もう一つの中世(イグアスの滝)

ウォーターワールド
ウォーターワールド(ユニバーサル・スタジオ)

ウォーターワールド』(1995年)は,地球温暖化によって地球全土が水没してしまった未来の世界を描いている。中世とはおよそ無関係な時代設定なのだが,全世界を統一するシステム(秩序)が崩壊した後の世界という意味で,『ウォーターワールド』の世界は中世に類似する。

映画は,主人公=ケヴィン・コスナー演ずるマリナーが,地球全体を覆ってしまった海をヨットで航海するシーンから始まる。このシーンには,ヨットのスケール,スピードがよく表れていて,ヨットを効率よく操るための人の動きの機敏さがうまく描かれている。

海を行くマリナーは「0:09:54」に海に浮かぶ集落(劇中ではアトール=環礁と呼ばれる)に行き着く。集落は鉄板でつくられた城壁に包まれる。「0:25:32」から,この集落は,スモーカーズというならず者集団に襲われる(スモーカーズの親分をデニス・ホッパーが演じている)。スモーカーズは,ジェットスキーや航空機を駆使して城壁を乗り越え,集落に襲いかかる。城壁に守られた街という構図は中世都市のイメージそのものであるし,その街をならず者=蛮族が襲う,というシチュエーション,あるいは,城壁の外はならず者の世界というシチュエーションも実に中世的である。

海に浮かぶ集落がならず者集団に襲われる映画のシーンは,映画をテーマとするテーマパークである「ユニバーサル・スタジオ」のショー(アトラクション)にもなっている。マリナーとスモーカーズの戦いは,城壁のごとくに配置された席に座る観客に囲まれた空間の内部で展開する(写真)。物語はいつも明確な空間の上で,すなわち,閉鎖空間の中で語られる。

 

前節で触れた『薔薇の名前』は,単純に考えれば,「一人のヒーロー(ショーン・コネリー演ずる探偵)が問題(殺人事件)の発生した場所(修道院)を訪れ,問題を解決して去っていく」という構図をもっている。『ウォーターワールド』もまた,「一人のヒーローが,問題を抱えた閉ざされた街に現れ,問題を解決して去っていく」という構図をもっている。そんな構図,すなわち閉鎖空間が提示されその閉鎖空間の中で物語が展開するという構図は多くの映画に共通する。

映画のプロトタイプの一つは西部劇の名作=『シェーン』(1953年,ジョージ・スティーヴンス監督)だろうと思う。映画は,冒頭のシーンで,アラン・ラッドが演じたヒーロー=シェーンが馬に乗って問題を抱える町(農家が点在し,酒場がある程度の未完成な町)に現れる。流れ者のシェーンは,開拓者のジョー,その妻=マリアン,その息子=ジョーイの家庭に身を寄せるが,領地をめぐる問題が悪化し,ジョーの一家は争いに巻き込まれる。そして,シェーンは,ラストシーンで問題を解決し,町を去っていく。

アメリカ合衆国の独立記念日は1776年7月4日。そして,西部劇の背景である19世紀後半の西部開拓時代を通じて,広大な大地に多くの町が生まれていった。そんな西部開拓時代をアメリカの中世だったと考えてみることはあながち的外れではないだろう。「1:27:00」には,「皆でここに町を作り,教会や学校を建てよう」というジョーのセリフがある。そのセリフは,「墓地もか」という応答に切り返されてしまうのだが…。

 

西部劇の時代からもう少し歴史を遡ると,1750年からの数年間にわたる南米を描いた映画に『ミッション』(1986年)がある。『ウォーターワールド』や『シェーン』と同様,歴史的にはヨーロッパの中世とは時間差のある映画なのだけれど,原住民へのキリスト教の布教と未開の地に教会と町がつくられていく様を描いているという点において,中世的な世界が表れていると思う。

イグアスの滝 イグアスの滝

『ミッション』は,南米にあるイグアスの滝写真)を舞台としている。イグアスの滝は,ブラジル,アルゼンチン,パラグアイの3国の国境近くにある世界有数の瀑布である(滝そのものはブラジルとアルゼンチンの国境を流れるイグアス川にある)。この瀑布が未開の地を演出する。

イエズス会の宣教師は,滝の上流に住む原住民(インディオ)への布教を試み,滝の登山に挑む。ロバート・デ・ニーロが演じた,傭兵と奴隷商人の経歴をもつ異色の宣教師=メンドーサもその一人だった。苦難を乗り越えて教会を建設するまでが映画の前半(「0:50:59」まで)であり,後半は植民地政策を進めるスペイン・ポルトガルの政治的圧力と宣教師たちとの対立が描かれる。「1:21:20」には,物語の語り手である枢機卿が,「インディオにとって,我々が海と風に運ばれて来たのは,幸せだったのか…」と自問するセリフがある。

『ミッション』が描いたように,時代が変化するということが望ましいことなのかどうかはわからない。古き良き過去こそが平和な時であり,未来はいつも邪悪に満ちているのかもしれない。しかし,現在のアメリカ(北米)では英語が話され,南米ではスペイン語とポルトガル語が話されているということが歴史的な事実である。キリスト教は,ヨーロッパだけではなく南北アメリカにまで(あるいは世界にまで)拡大した。その過程で,荒れ地あるいは未開の地に無数の教会と町がつくられ,町を単位として世界は発展した。

 

ヨーロッパでは,中世盛期=ロマネスクの時代に,各地に教会を中心とする固有の町が発展し個性のある空間がつくられていったのだが,ヨーロッパに限らず,荒野あるいは未開の地から発生した町が,問題を解決しながら発達していく時期をロマネスクに対照させてみるのも一興だと思う。

5-3. 躍動する閉鎖空間(ロマネスクの空間と単一空間型映画)

前節において「閉鎖空間の中で物語が展開する構図が多くの映画に共通する」と述べた。また,先に「0-4. 単一空間型の映画」において,映画に描かれた空間をタイムテーブルによって分解してみると,物語の進行が終始ある一つの空間の中で展開する〈単一空間型〉,すなわち単一の閉鎖的な空間が舞台となる閉鎖空間型の映画が見つかることを述べた。本節では,いささか強引な筋書きになるのだが,閉鎖空間型の映画を,ロマネスクの空間という観点から眺めてみたいと思う。

『2001年宇宙の旅』の監督である巨匠=スタンリー・キューブリックが演出した『シャイニング』(1980年)は,雪に閉ざされた休業中のホテルを舞台とするホラー映画である。原作はスティーブン・キング。妻と子を斧で殺害しようとする殺人鬼=ジャックをジャック・ニコルソンが演じた。

『シャイニング』のオープニングは,コロラド(アメリカ)の山をジャックの車がオーバールック・ホテルへと向かうシーンから始まる6。「0:17:37」までは,ジャックが冬の期間中閉鎖されるオーバールック・ホテルの管理人となるための面接を受けるシーンである。「0:17:37〜0:19:33」が,ジャックとその家族(妻と息子)が閉鎖直前のホテルへ向かうシーンであり,以後,物語はほぼホテルの中だけで展開する(一部,妻が通信するレンジャーの通信室や,異常を感じて自宅からホテルへと向かう料理長の行動などのホテル外のシーンが挿入されるが,いずれも短いシーンである)。ジャックと妻と子以外には誰もいないはずのホテルに何かがいて,そして,ホテルは悪意をもってジャックを誘導する。このホラーの世界をスタンリー・キューブリックが類い希なる映像によって描いたのが『シャイニング』だった。

 

ダイハード』(1988年,ジョン・マクティアナン監督)は,ブルース・ウィリスが演ずるジョン・マクレーン刑事が飛行機でニューヨークからロスアンゼルスに向かうシーンから始まる。マクレーンは「0:09:00」にナカトミ・コーポレーションの超高層ビルに到着し,以後,物語はほぼそのビルの中で展開する(一部,地元の警官やFBI捜査官のビルの外での行動が描写する短いシーンされるのみである)。「0:16:58」にテロリストらしき集団が,クリスマスイブを祝うパーティーを開催中のビルに侵入し,超高層ビルを乗っ取る。そして,刑事と悪者たちの闘いが始まる。

悪者たちが超高層ビルを乗っ取った時点でのマクレーンは裸足の状態で,所有する武器は拳銃一のみ。「0:35:30」からの最初の1人との格闘でマシンガンを手に入れる(靴のサイズが合わないので裸足のまま)。以後,少しづつ手掛かりを集め,孤高の闘いはヒートアップする。強引な方法によりマクレーンが外部の警官に異常を知らせるのが「0:57:00」。悪者たちの狙いがだんだん明らかになり,マクレーンが悪者のボス=ハンスとの決戦を迎えるのが「1:59:44」。マクレーンがビルから出てくるのはラスト数分前の「2:03:05」である(その後もちょっとした撃ち合いがある)。

エレベーターシャフトや機械室などを抜けていくマクレーンの行動によって,超高層ビルの裏方を垣間見ることができるというのもこの映画のおもしろいところだと思う。超高層ビルという閉鎖空間の中で,状況が少しづつ変化しながら躍動感あふれるアクションが展開するのがこの映画の魅力だ。ラストシーンでボーン・モンローが歌うクリスマスソング「Let it snow, Let it snow, Let it snow」が流れるのも,娯楽映画の雰囲気をうまく醸し出していた。

 

『ダイハード』と同じジョン・マクティアナン監督の演出による『プレデター』(1987年)では,アーノルド・シュワルツェネガーが演じるコマンド部隊の隊長=ダッチが宇宙生物=プレデター(食肉獣)と闘う。シンプルな設定の映画ではあるが,迫力のある映像と音楽が新鮮な映画だった。映画の冒頭は,プレデターが地球に向かう短いカットから始まり,ダッチが率いるコマンド部隊がヘリコプターで現場に向かうシーンが続く。コマンド舞台が一人ずつプレデターにハントされ,最後にはダッチとの一騎打ちとなり,そして,映画のラストは,ダッチがヘリコプターで現場を離れるシーンで終わる。『プレデター』の現場はジャングル。そのジャングルが閉鎖空間だ。

 

人気のホラー映画のシリーズの1つに『13日の金曜日シリーズ』がある7。シリーズとしてはジェイソンという怪物が殺戮を繰り広げるという構図が定着したが,第1作の『13日の金曜日』(1980年,ショーン・S・カニンガム監督)は単純な構図の映画ではない。

『13日の金曜日』ではクリスタル湖のキャンプ場で奔放な行動をする若者が一人ずつ殺されていく。ここでは,殺人者の視点によるカメラワークによって,まだ姿を見せていない何者かが存在することを観客に意識づける演出が多用されている。スクリーンに映る空間は,わずかなカメラの動きと俳優の表情によって,まだ姿を現していない何者かが存在する空間に変化する。最後に殺人者の正体が明かされはするが,若者たちは,殺人者によってというより,呪われた過去をもつ森という空間によって惨殺されたのだろうと思う。美しい湖を背景とするラストシーンは,謎を残す不思議なエンディングとなっている。

 

2004年に公開された『ソウ』(ジェームズ・ワン監督)もまた〈閉鎖空間型〉映画の傑作だ。『ソウ』は,超自然現象が関与するホラー映画ではまったくなく,謎に包まれた物語が展開するサスペンス映画,あるいは,血が飛び散るという意味ではスプラッター映画の一つである。第1作が人気を博し,翌年以降,毎年のペースで続編がつくられた。

主演も務めたリー・ワネルによる第1作の脚本はとてもよく出来ていて,技巧的な脚本による凝ったストーリーの展開は続編にも受け継がれていく。映像表現のスタイルとしては,第2作以降で肉体を切り刻む残酷シーンの描写が確立していくが,第1作は血の表現よりも登場人物同士の心理戦が際だつ映画だった。

『ソウ』は,廃墟となったバスルームに閉じこめられたアダムとゴードンの物語である。2人は鎖でつながれ,会話をすることはできるだけの状況に置かれている。物語は,回想シーンを除いては,冒頭から最後まですべてがこのバスルームの中で進行する。謎のテープがゴードンにアダムを殺すことえお命じる。なぜ2人は閉じ込められたのか,誰が何のために閉じ込めたのか,なぜゴードンはアダムを殺さなければならないのか,観客は登場人物と一緒にその謎に巻き込まれる。観客はやがて2人は何者なのかという疑問に取り付かれる。その時に2人の登場人物の対決は脚本家と観客の対決に変わる。最後に解ける謎は,謎の余韻を残しつつも,ある種の爽快感を観客に与えてくれる(間違いなくラストは衝撃的である)。だまされてもなお,というよりだまされることによってこそ,作り手の意図を理解し爽快感を感じることができるのは映画ならではの体験だ。

『ソウ』のように主人公が冒頭から特殊な状況に置かれる構図の映画は,「ソリッド・シチュエーション・ムービー(状況固定映画)」と呼ばれるようだ。ソリッド・シチュエーションは〈閉鎖空間〉と動議であると思うが,より明確な閉鎖性=状況をもつことを表す概念だろうと思う。

『ソウ』は,さまざまな解釈が可能という映画の多義性を体験できる好例でもある。物語が進むと,そのソリッド・シチュエーションはジグソウと呼ばれる人物によって仕掛けられたものであることがわかってくる。ジグソウは小さなピースをはめ込むことによって全体を組み立てるパズルのことだが,映画では,部分としてのシーンが全体の謎を説明する鍵となる。『ソウ』は,全体の謎が明らかになった時に,映画のすべての部分が意味をもっていたことに気づかされる映画である。しかし,ある部分の解釈を変えると,異なった全体が思い浮かぶ映画でもある。

『ソウ』の続編『ソウ2』(2005年,ダーレン・リン・バウズマン監督)も技巧的なソリッド・シチュエーションの設定を受け継いでいるが,前作とは異なる構図をもつ。ジグソウが被害者(?)を密室に閉じ込めて死ぬか生きるかのゲーム(ジグソウは自分が仕掛けた状況を救済のためのゲームと呼び,被害者にゲームに生き残るヒントを与える)を強要するプロットは同様なのだが,物語の冒頭に登場するゲームは「0:4:35」までに結末を迎え(被害者が死に至り),その後はしばらく警察による捜査が続く。そして,「0:13:50」でジグソウは早々と捕まってしまう。

しかし,『ソウ2』のメインとなるゲームはその後の「0:18:19」から始まる。メイン・ゲームでは8人が密室に閉じ込めらている。その中にはジグソウ逮捕の指揮をとるマシューズ刑事の息子ダニエルが含まれている。ジグソウはマシューズに,2時間以内に救出しなければ遅効性の毒ガスにより8人は死亡すると告げる。ここからは,空間と時間が限定された閉鎖空間での8人の格闘が始まる。

映画の最後には前作に匹敵する衝撃的なラストが用意され,ジグソウの目的が明かされる。この映画におけるジグソウは空間だけではなく時間をもコントロールする神であるといえる。時間のコントロールは前作には見られなかった手法であるが,『ソウ2』を見ると,映画には観客の時間をコントロールする力があることがわかる。前作同様,脚本は緻密で,ストーリーには破綻がない。

 

CUBE』(1997年,ヴィンチェンゾ・ナタリ監督)は,3次元格子状に配列する立方体の部屋を舞台としたソリッド・シチュエーション・ムービー。立方体の上下左右前後の6面に出口があるが,その出口は次の立方体につながっている。それぞれの立方体にはトラップが仕掛けられているので,トラップを破らないと次に進めない,というのがこの場合のソリッド・シチュエーションだ。誰が何のために「CUBE」をつくったのか,7人の主人公は何者なのか,シチュエーションの謎をめぐって観客は映画に見入ることになる。それにしても,映画の製作に必要なセットはたった1つの立方体,1つの立方体だけから多様なストーリーが展開できるということが,この映画の効率的で優れた面だったと思う。

ニコール・キッドマンが苦悩する母親を演じた『アザーズ』(アレハンドロ・アメナバール監督,2001年)も〈閉鎖空間型〉サスペンス映画の傑作だったと思う。

 

本節ではいくつかの印象的だった〈閉鎖空間型〉の映画について述べてきた。取り上げた映画は,中世ロマネスクに関係するものではまったくない。しかし,これらの映画には,それぞれが固有の特徴的な空間をもつという点において,中世ロマネスクの都市とのアナロジーが存在するといえるだろうと思う。

先に「4-1. 修道院の空間」において,「中世は古代ローマにおける中央集権とは対照的な封建制度が発展した時代」であり,「ヨーロッパの各地に,城壁で守られた,国家ともいえる自治的な都市が誕生した」と述べた。また,「都市の中心に教会が建てられ,キリスト教が普及をし,中世の都市空間は,厚い壁に守られた空間という意味で,修道院の空間に類似する」とも述べた。「中世は明確な領域をもった都市が生まれていく時代」であり,今日のヨーロッパの都市は,中世を通じて形成された都市の個性を継承している。あるいは,古代ローマに起源をもつ都市であっても,ローマ帝国への中心性は失われ都市は再構成されている。今日のヨーロッパの都市がそれぞれに個性あふれる姿をもつのは,中世の荒地(未開の地)の中に自発的な集合体が形成されてきたからだ。

 

映画がある種の空間体験だとすれば,体験する空間はその映画独自の個性的なものである方がいい。映画は,空間に支配者を設定することにより,個性のある閉鎖空間をつくり出す。空間の支配者は悪意をもったホテルや湖であるかもしれないし,テロリストや謎の人物/組織であるかもしれない。空間を閉鎖しそこに躍動感を表現することは,きわめて映画的な手法である。